金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「高校の国語 文学を軽視?」(新聞記事に覚えた違和感)(2019年10月)

今日(2019年10月14日)の朝日新聞の21面「高校の国語 文学を軽視?」は、朝日新聞の問題の立て方も、回答者のお答えも完全にピントを外していると思った。先日も書いたけど、今回の国語教育の、『走れメロス』を鑑賞する以前に、『走れメロス』をそもそも読めてないんじゃないの?という問題意識に基づいている(と僕は理解している)。

日本語をきちんと読み書き(漢字や語彙力はもちろんだが、ここではむしろ助詞を中心とした機能語を運用)できる能力を養うべきだ、と言っているだけであって、文学鑑賞を誰も否定していない。それは音楽や美術の鑑賞と同じ「芸術」なのだ、という新井紀子さんの指摘は正しい。

しかもその鑑賞だって、小学校から大学入試まで、あるシーンを示して「この時の筆者の気持ちは何?」といった類いの問題ばかりやって「国語の運用能力なんてつかんでしょ」ということ。英米のEnglish(僕らでいう「国語」)にはそんな「忖度」問題はない(小田嶋隆さんの指摘)と僕も思う。

新井紀子さんにメディア時評をお願いしているんだから、そうした視点をなぜ入れて考えないんだろう?と読みながら呆れた。

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