翻訳は直訳ではなく、ましてや言語変換ではない——これは我々翻訳者にとっては常識である。ところが、この常識が、母語から外国語への翻訳においては十分に自覚されていないのではないか。そう思わざるを得ない出来事が、最近二つあった。
一つ目は、先日ある人から見せてもらった、某社の日本語ホームページの英訳文である。この英訳は、日本語を生成AIに訳させたか、日本人翻訳者が訳してネイティブ・スピーカーがチェックしたかは定かではない。いずれにせよ、語学的には全く問題がなく、英作文としては100点満点だ。しかし、それだけなのだ。英米人読者を想定したIR英語としてどうかというと、全然「なっていない」日本人丸出しの正確な英語——それが一読した時の率直な感想だった。
この違和感を分解すると、次のようになる。
日本語の原文(A): 日本語読者(主に日本人)に対する、その会社ができること・したいことを伝えるメッセージ
生成AIによる英訳(B): 「Aの意味はこういうこと」を説明した完璧な英語(=英作文としての英語)
本来あるべき英文(C): 外国人読者(顧客または投資家)を想定し、彼らの文化的背景を考慮して書かれたIR記事(=IR英語)
当然(C)は(B)と異なるはずだ。(B)は「この日本語の意味を英語で説明する」という解説文としては有用だが、外国人読者(顧客や投資家)に向けた(C)とは本質的に異なる。両者の読者スキーマ——その記事を読むにあたって読者が事前に持っている文化的知識や期待——が根本的に異なるからだ。
生成AIを使う際のポイントがプロンプトにあることは、すでに周知の事実となっている。「生成AIができたので翻訳者は不要になった」といった言説もよく耳にするが、問題の本質はそこにはない。むしろ、生成AIの登場によって、多くの翻訳者が長年「翻訳」だと考えてきた作業の輪郭が、特に母語から外国語への翻訳においてはっきりと可視化されたのである。
すなわち、多くの日本人翻訳者は、生成AIで(B)を作ることを、それ自体で日英翻訳(日本語から英語への翻訳)だと捉えがちである。それは個々の翻訳者の能力や努力の問題ではない。「日本語で書かれた内容を(あくまでも純粋語学的に見て)正確に英語に置き換えること」こそが翻訳である、という職業的前提そのものが、生成AIによってそのまま自動化可能な工程になってしまったことに起因する(冒頭の事例がまさにこれに当たる)。もちろん、ここで言う「誤認」は、日本人翻訳者に限った話ではない。私が今「日本人翻訳者」と書いたが、実のところ、英語ネイティブ・スピーカーの翻訳者の中にも、「そこに書かれている日本語を(上と同じ意味で)正確な英語にすること」こそが翻訳であると捉えている人は少なくない。しかし、それは(B)の精度を高めることにすぎず、外国人読者を想定したメッセージとして再構成された(C)とは、本質的に異なる仕事なのである。もっとも、翻訳者にそうした姿勢を取らせる責任の多くは、発注側である日本企業にある、というのが私の印象だ。大学受験で英文法をさんざん鍛えられてきた日本人担当者に逐語訳の精度を根掘り葉掘り詰められた結果、翻訳者が逐語訳に徹するようになったのではないかと思うのである。
ここで一つ、重要な非対称性を指摘しておきたい。外国語を母語に訳す場合、まず読解に注意を割く必要があるが、母語で書き直す段階では表現の負荷が相対的に小さくなるため、少なくとも「自国の読者にどう伝わるか」という観点に注意を回しやすい。ところが、母語を外国語に翻訳する場合は状況が一変する。外国語として破綻のない文章に仕上げることに意識の大半が割かれ、外国人読者の文化的文脈まで織り込む認知的余裕を失いがちなのである。この非対称性こそが、母語→外国語の翻訳で、英訳(B)の生成に留まり、読者を想定して再構成された英文(C)へ踏み込めなくなる構造的要因の一つと言えるだろう。
この構造的な問題を、私は二つ目の出来事——最近受注・納品した某社ホームページの英訳案件(全ページで、日本語原文合計2万文字程度)——で身をもって体験することになった。
この会社とは5年ほど前にも取引があり、当時はネイティブ・スピーカーの翻訳者に英訳を依頼し、私がチェックして納品していた。当時から私は「読者スキーマの違い」をそれなりに理解していたつもりで、日本人向けの文章をネイティブ読者向けに修正していた(もっとも、当時「スキーマ」という言葉は知らなかった)。しかし今振り返ってみると、自分がネイティブ・スピーカーではないという負い目から、最終的には「英語として正しいかどうか」という語学的観点を重視してチェックしていたように思う。そのことを、今回あらためて痛感したのである。
なぜか。今回の受注にあたっては、生成AIを翻訳段階から活用することを顧客に説明し、了解を得ていた。生成AIをフル活用したことで、「語学上の誤りはない」という安心感が得られた。その結果、私は言語表現の正確性ではなく、メッセージの内容にフォーカスすることができた。具体的には、「日米の制度上の違い」や「日本人読者と英米人読者の読者スキーマのずれ」、「専門用語の適切な選択」、さらには生成AIが文脈上どのように意味を取り違えているかといった点まで含めて、より高次の観点からAIの訳文を検討できたのである。
その結果、気づいたことがある。5年前にネイティブ翻訳者が訳した英語も、原文に引きずられすぎて読者スキーマのずれに十分配慮できておらず、文化的背景の異なる英語ネイティブ・スピーカー読者にはやや不親切な英語になっていた、ということだ。今回の案件でそのことを思い知り、最初に紹介したホームページ英訳の作者を安易に批判できないなと反省した次第だ。
生成AIの登場と発展によって、人間の翻訳者に求められる能力はおそらくこの分野——文化的文脈の理解と調整——である。
翻訳が「ソース言語の理解」と「ターゲット言語の表現力」で成り立つとすれば、現段階の生成AIは、ターゲット言語の「生成」(上の例における英訳(B))をほぼ完璧にできる。一方、ソース言語の真の理解については、人間の理解を「支援」できても、「代替」はできない。
ということは、例えば英語非ネイティブ、日本語ネイティブの日本人は生成AIをフル活用した日英翻訳にこそ、その(人として持つ)能力を発揮できるはずだ。
では、そこで意識的に鍛えるべき能力は何か。それは英日あるいは日英翻訳に関しては、英語読解能力と英米文化への理解力だというのが、私の現段階の結論である。これを鍛えることで、外国人読者を想定した日英翻訳において、「英訳」(B)ではなく「英文」(C)に近い英訳を目指す的確なプロンプトを作成できる。そして、語彙や文法上は完璧な英語をAIが出力してきたら、自分の読解力と文化的知識を駆使してその適否を判断する——そういう翻訳者になれるのではないか。
そう考えると、生成AIの時代には、英日(英語から日本語の)翻訳において、英語ネイティブ(日本語非ネイティブ)の活躍する余地が大きくなるかもしれない。
なお、本稿の議論は主にビジネス翻訳(IR資料、契約書、広報文書など)を前提としている。文芸翻訳については、私には実務経験がないため言及を控える。
もっとも、以上の私の意見は少数意見らしい。しかし、生成AIがさらに進化したとき、「正確な英訳(つまり英訳(B))を作れること」自体は、もはや翻訳者の価値を保証しないと思う。だからこそ私は、語学力の先にある読解力と文化的洞察力を、意識的に鍛え続けたいと思っている。翻訳という仕事が再定義されつつある今、その方向に進む以外の選択肢は、私には見えていない。
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