金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「百年後の日本は・・・予想を忌憚なく答えても、縛られる心配のない世の中になる」(1920年から見た「百年後」):2013~2020年の今日(4月4日)に出会った言葉

(1)2020年4月4日 
……少なくとも小、中学の教育の場では、英国では英語、フランスではフランス語として母語が学習されるのと同じように、「国語」ではなく「日本語」として学ぶ方がいいと思っています。
ロバート・キャンベルさん(国文学研究資料館長)「『日本語』として客観的に」2020年4月4日付朝日新聞
*本日の言葉:今の「国語」は「基本的な読解力」が児童生徒学生に既に身についていることを前提とした「国文学鑑賞」であり、その中身は筆者の心情を読み取る忖度力の養成だ、という新井先生のご指摘(小田嶋隆さんも同じ趣旨の発言をされている)はその通りだと僕は思っている。

「日本語」を語学として客観的・分析的・解析的に学ぶことを主張されているロバート・キャンベルさんのご意見は、新井先生の主張に一致しており、僕も賛成する。

なお余談だが、新井先生の御著書では、偏差値の高い中高一貫校の読解力が高いことが示されている(しかし、それはなぜかは説明されていない)ため、それをもって新井先生はしょせん偏差値信奉者的な書き込みを先日目にしたが、彼女は統計的なデータ(結果)を示したに過ぎず偏差値や受験校への評価をしたわけではない。

高偏差値の中高一貫校の学生の読解力が高い理由は、国語ではなく、国語以外の(算数や理科、社会その他教科の)教科書や問題をたくさん読み、解答を書いたりする経験が豊富だから、と僕は解釈しています。日本語力は「国語以外」で養われているなんて、とって皮肉ですが。

(2)2019年4月4日  
沖縄で漫才をやるようになって気付いたのは、沖縄だけでウケる笑いがあることです。たとえば、基地。

辺野古の海に土砂が投入されて、友だちはずっと「上を向いて歩こう」を聞いている。涙がこぼれないように。でも沖縄の小学校は米軍ヘリの窓が落ちるから、普段から上を向いてなきゃやってられないって。

こういうネタは、沖縄県外の観客は、笑えずに固まる。でも沖縄では笑いが起こる。笑いは、みんなが共有している事実の上に成り立つものだからです。ひとしきり笑った後、泣く人もいました。基地問題に振り回されたからこその反応に見えました。村本大輔さん
(「沖縄だけ受ける笑いがある」2019年4月4日付朝日新聞

(3)2018年4月4日  
行政機関が当たり前に公文書を改ざんするような日が訪れたならば、僕たちは『一九八四年』を読み直して、たった数行の改ざんの先にどのような社会が待ち受けているのか、想像し直す必要があるだろう。憤りもせず、疑いもせず、ささいな書き換えだと受け入れるなら、「真理省記録局」への誕生は遠くない。
(「『実現しない預言書』のはずが」「後藤正文の『朝からロック』」2018年4月4日付朝日新聞より)

(4)2017年4月4日  
だれでも自分は偏見がないと思い、そういう。偏見がないと信じ込む偏見。独断ではないと思い込む独断ほど、その病は重い。
(『深代淳郎の天声人語』「偏見」)

https://www.amazon.co.jp/dp/4022618337

(5)2013年4月4日  

「百年後」
 二十一世紀は、どんな世の中になるのか。米国の専門家たちの予測によれば、人間はプラスチックの自動車に乗り、プラスチックを食べるようになると新聞に紹介されていた。人類は石から銅へ、銅から鉄へと進歩してプラスチック時代にはいり、きっと栄養たっぷりで、おいしいプラスチック料理ができるようになるのだろう。
 これは「進歩」と称すべきものなのかどうか、筆者の貧しい想像力では判断しがたい。しかしわれわれはプラスチックに囲まれて、理想社会に近づいているのだという信仰は、とても持ち合わせていない。大正九年1920年)、『日本及日本人』という雑誌が「百年後の日本」を特集した。当時の知識人にアンケートしたものだが、五十五年後の今日、読み返してみておもしろい。
 「一寸先は闇、いわんや百年後など夢想だにおよぼざるところ」といった回答もある。一寸先の分からないのは、今の政界の話だけではないらしい。この中で、科学技術についての予言は、百年を待たずして実現されてしまったものが多い。たとえば「芝居も寄席も居ながらにして見、聞きできる対面電話」「土を化して米となし、草を変じて肉を作る法」などは、いい線をいっている。
 だが人間自身の「進歩」についての見通しには、悲観的なものが多い。「女権は拡張すれど、一般女子の貞操感いちじるしく低下す」と女学校長は心配している。評論家正宗白鳥は「みんなが浮かれ出す世になる」という予言だ。「人間が段々幸福になってゆくかどうかは疑問」というのは、作家菊池寛である。
 社会運動家山川均の言葉は、心をうつものがある。「百年後の日本は、百年後の予想を忌憚なく答えても、縛られる心配のない世の中になるでしょう」。同じような言い方で「二十一世紀の世界は、人間が未来を語るときに、今ほど暗い疑いをもつことのない世の中になるでしょう」と予言したい。昭和50年(1975年)10月13日
(引用終わり)
深代惇郎天声人語
書き写すのに約15分かかりました。平成25年(2013年)4月4日