金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「偏見がないと信じ込む偏見」:出会った言葉:昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(246)

(1)2年前の今日
……少なくとも小、中学の教育の場では、英国では英語、フランスではフランス語として母語が学習されるのと同じように、「国語」ではなく「日本語」として学ぶ方がいいと思っています。
ロバート・キャンベルさん(国文学研究資料館長)「『日本語』として客観的に」2020年4月4日付朝日新聞
*本日の言葉:今の「国語」は「基本的な読解力」が児童生徒学生に既に身についていることを前提とした「国文学鑑賞」であり、その中身は筆者の心情を読み取る忖度力の養成だ、という新井先生のご指摘(小田嶋隆さんも同じ趣旨の発言をされている)はその通りだと僕は思っている。

「日本語」を語学として客観的・分析的・解析的に学ぶことを主張されているロバート・キャンベルさんのご意見は、新井先生の主張に一致しており、僕も賛成する。

なお余談だが、新井先生の御著書では、偏差値の高い中高一貫校の読解力が高いことが示されている(しかし、それはなぜかは説明されていない)ため、それをもって新井先生はしょせん偏差値信奉者的な書き込みを先日目にしたが、彼女は統計的なデータ(結果)を示したに過ぎず偏差値や受験校への評価をしたわけではない。

高偏差値の中高一貫校の学生の読解力が高い理由は、国語ではなく、国語以外の(算数や理、社会その他教科の)教科書や問題をたくさん読み、解答を書いたりする経験が豊富だから、と僕は解釈しています。日本語力は「国語以外」で養われているなんて、とって皮肉ですが。

(2)3年前の今日
沖縄で漫才をやるようになって気付いたのは、沖縄だけでウケる笑いがあることです。たとえば、基地。

辺野古の海に土砂が投入されて、友だちはずっと「上を向いて歩こう」を聞いている。涙がこぼれないように。でも沖縄の小学校は米軍ヘリの窓が落ちるから、普段から上を向いてなきゃやってられないって。

こういうネタは、沖縄県外の観客は、笑えずに固まる。でも沖縄では笑いが起こる。笑いは、みんなが共有している事実の上に成り立つものだからです。ひとしきり笑った後、泣く人もいました。基地問題に振り回されたからこその反応に見えました。村本大輔さん
(「沖縄だけ受ける笑いがある」2019年4月4日付朝日新聞

(3)4年前の今日
行政機関が当たり前に公文書を改ざんするような日が訪れたならば、僕たちは『一九八四年』を読み直して、たった数行の改ざんの先にどのような社会が待ち受けているのか、想像し直す必要があるだろう。憤りもせず、疑いもせず、ささいな書き換えだと受け入れるなら、「真理省記録局」への誕生は遠くない。
(「『実現しない預言書』のはずが」「後藤正文の『朝からロック』」2018年4月4日付朝日新聞より)

(4)5年前の今日
だれでも自分は偏見がないと思い、そういう。偏見がないと信じ込む偏見。独断ではないと思い込む独断ほど、その病は重い。
(『深代淳郎の天声人語』「偏見」)

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