金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

フリーランスになるってことはさ・・・②

宴会の時に存じ上げない顔を見かけたら、同業者同士の懇親会でも名刺を渡して挨拶をする。こういう癖をつけておくと、本番(見知らぬ人たちの集まるパーティーでの営業活動)でも抵抗感が減る。

こういう方針にしているので、昨年初めまでは、同業者の飲み会でも、多分初対面と思う方3名の方の席に出向き、名刺を出して「鈴木立哉です。よろしくお願いします」とやりました。

うち、3人の方から「あ、私、鈴木さんの名刺持ってます」と言われ「これは失礼しました」とお詫びする。

「あらあら」と言って席に戻ったら、隣に座っていた翻訳仲間のNさんから「あたしなんか、鈴木さんの名刺3枚持ってるわよ」と言われましたっけ。

 

フリーランスになるってことはさ・・・ - 金融翻訳者の日記

フリーランスになるってことはさ・・・

「今度の懇親会には、知り合いがほとんどいないのでどうしましょう。私は人見知りなんです」

2年ほど前、ある業界関係者が主催するパーティへの出席を尻込みするAさんに僕はこう答えたね。

「『やったー!営業のチャーンス!!!名刺をたくさん用意して全部くばれるぞー』と思った方がいいんじゃない?」

ここまでは抑えておったのだが・・・

「はい、わかりました。申し込みました」

祝着至極である。ところがだ。

「・・・6000円分食べて元を取ってきます」

なぬ~~!!!!

「いやいや、そうじゃなくて・・・(だんだん怒りが・・・)

『6000円分名刺配って元を取ってきます』

やろ。知り合いしかいない懇親会ばかりに行って傷をなめ合ってどうすんじゃい!お客様は天から降って来いへんで。客いらんのかい、コラ!!!」とつい声も荒ぶってしまった(す、スマン)。

フリーランスになるってそういうことやで。

ということで。

*この物語はフィクションです。

書き換え問題の落とし穴

She swims well. ⇔ She is a good swimmer.


という類いの「書き換え問題」を中高生時代にはさんざんやらされるのだが、この時に、

「一般的に英語では、動詞的、叙述的表現よりも名詞化表現を好む傾向があるため、『彼女は水泳が上手い』に対応する英語としては、She is a good swimmer. の方が適している」

という指導がなされていれば、書き換え問題が単なる機械的置き換え作業にならなかったのではないかしら。

もっと一般化して言うと、Aという文章をBに書き換える(言い換える)訓練は必要だと思うものの、中高生の英語の勉強や大学受験勉強では、いつのまにかAとBは全く等位(exchangeable)の文章であることが前提になってしまっているような気がする。そしてそういう問題ばかりに取り組んでいるうちに、文章をただ(書き換え用の)文章として見るようになり、汎用性がなくなっていくのではないかな。

もちろんAとBには完全に交換可能文章もあるだろうが、多くの文章はそもそもニュアンスや使い方が違うはずだ、と考えてA、Bそれぞれの文章の意味合い(の違い)を一つ一つ評価、検討、研究していくと、もっと「書き換え問題」の意味が深くなり、英作文や英文読解に役立つのではないだろうか。

大学受験生用の英文解釈用参考書で勉強していると、例えばそういうことに気がつく。

マスクの効用(?)

コロナ禍に遭って外出するときには常にマスクをするようになって10カ月近く。

「お父さん、マスクをしなきゃいけなくなっていいこともあるよ」「なんですか?」
「お化粧しなくてよくなったことよ~。おかげでお肌ツルッツル!」と喜んでいた妻が、昨日の午後、帰宅するなりこう言った、いや叫んだと言った方が正確かもしれない。何しろ怒っていた。

「お父さん!この格好しているアタシいくつに見える?」

オーバーコート、帽子、マスク、メガネをかけた状態である(ついでに言っておくと「魔法前」、つまりノーメークである)。

「・・・そ、それはもう、どこからどう見ても、少なくとも40代前半」その後の展開がわからないので、一応忖度する。なお、念のために補足しておくと、ここで「少なくとも」とは「それよりも若い」という意味。

「今、マルエツのレジで、『クーポン使われますか?』って聞かれたのよ!!」「よかったじゃねーか」
「良くないわよ。『シルバークーポン』よ!!!・・・ホンとに失礼しちゃう(怒)」
「だってお前さん、店員さんだって『お客様、おいくつですか?』な~んて聞けねーじゃん」
「見りゃわかるでしょって言ってるの!!!」

で、ついさっき、また買い物から帰宅したなり、

「おとうさーん、実は今日いいことあったんだ~」
「どうしたの?」
「あの店員さん、どう見ても20歳ぐらいのお姉さんにも『クーポンお使いになりますか』って言ってたのよ」
「それはそれは祝着至極でございます」

ちなみに私に関して言えば、マスクをするようになってから保育園の登園風景をずっと眺めていても見とがめられなくなった(ような気がする)。というか、周囲から冷たい視線を感じなくなったというべきだろうか。相対的な「怪しさ度」が低下したからだと思います。

ユーザー(読み手)目線をつい忘れてしまう日英翻訳の実例

以下は一昨日から昨日にかけて、私とあるお客様との間になされたやりとりを若干修正したものである。とりわけ、成果物を受け取ったお客様がその英文を評価できにくい和文英訳の実務翻訳上、極めて重要なポイントを含んでいると思うので読者の皆様にご紹介しておきたい。言われて見れば当たり前のことだが、実際にはなかなかできませんぞ。

(前提条件)顧客は個人向けにあるサービスを提供している。これまでは日本人向けのサービスに特化してきたが、今度は訪日外国人(英語話者)にもサービスを拡大することになり、パンフレットや契約書、各種説明書を英語に訳して提供したい。ついてはこれらを英訳してほしいと依頼を受けた。私は、契約書については「正本は日本語、英語はあくまでも参考」というヘッジクローズをつけることを提案した上でこの仕事を受けた。なお、下記「一次訳」とは私の手元に届いていた担当する英米人の翻訳者が訳した英文のこと。

(こちらから先方への質問メール)
お世話になっております。現在一次訳が終わり、内容のチェックをしています。
1点質問がございます。「電話による質問/疑問への対応サービス」には英語でのサービスが提供されているでしょうか?ある場合にもない場合にも、何らか一文を追加しておく必要があると思います。以上よろしくお願いします。

(先方からの返信メール)
担当部署に確認しましたところ、英語でのサービスは現状「やっています!」と正式に発表できる状況ではなく、需要が増え次第、しっかりと対応していきたいと考えております。ですので、今回は文章の追記は必要ないかと存じます。

(納品時に当該部分に関して送ったメモ)
〇〇様のご説明によりますと、この電話対応ービスは現在英語では準備中とのことでした。だとすると、もし上の英文(当該サービスについてパンフに書かれた日本語を英文にしたもの)をパンフレットに加えるのであれば、何か注釈を付け加えないとお客様が混乱すると思います。パンフには英語で説明があるのですから、日本語のわからないお客様は、英語で電話を掛けることが予想されるからです。英語でパンフをつくる、とは日本語のパンフを単に英訳するということではなく、英語で利用する方に利便性を与え、余計な負担をかけないことだと思います。従いまして、貴社の選択としては、次の2つがあると思います。
① 英語でサービスが提供されていないのだから、英語での説明は含めない(つまり上の英語はすべて削除)
② 上の英語の下に、注のような形(*をつける)で英語で説明を入れる。
(案1)*This service is only available in Japanese.(これは日本語のみのサービスとなります)。この案の問題点は、日本語でしかサービスがないのだったらなぜわざわざ英語のパンフレットに書くのか?という素朴な疑問をお客様が抱くことです。
(案2)*We are currently making arrangements to provide this service in English.(現在は英語のサービスを準備中です)
その上で、英語で準備ができた時にこの文章を削除する。(以下省略)

(その後の対応)
担当者に電話し、上のメッセージの意味を説明した。「もし〇〇さんが外国旅行に行ってたとして、そこに何らかのサービスが日本語で提供されていたとします。しかも日本語で書かれていたパンフには『困った時の電話サービス』があったとしますよね。そこに電話をしたら日本語が通じなかった。〇〇さん、どうお感じになりますか?」「お、怒ると思います」「ですよねえ……」

(以上を踏まえてのポイント)
「ユーザーの立場になって考える」というのは、いわば当たり前のことなのだが、それが「翻訳」になった瞬間に「日本語通りに英語に訳すこと」で頭がいっぱいになってしまい、「読み手が英語のユーザー」という意識が消えてしまう。特に今回のケースでは、私に翻訳を発注した部署が、サービス提供した部署と異なるため、当事者意識がなおさら希薄となっている。しかも、できあがった英文を必ずしも全員が評価できるわけではない(日本語だと「これ違うんじゃない?」とわかることが多い)。だからこそ電話で説明した。そこの部分をきちんとアドバイスすることが非常に大切だと思う。

皆様、自社のホームページやパンフレット等、お客様に見せている資料の「英訳」を利用者目線で見直してみては?

『英文「超」精読』はかなり良さそう(買って3日目の感想)

一昨日、映画を観た後にたまたま立ち寄った本屋で見つけて、パラパラめくって5分で購入を決意。この手の本を衝動買いしたのは初めてだと思う。相当良いいぞ~思ってアマゾン見たら、元々かなり評判よい本だったことが判明した。

本書の特徴は「この本の概要と使い方」の「本書は多様な英語学習者を支援する最高の副教材という地位をねらっています」(P3)にがあると思う。簡単に言えば、他の参考書で学んだことを定着させるための方法論を説いている。だから、本書だけを読んでもその真価はわかりにくいのではないかな。主に利用する英文解釈や翻訳の本を学びながら使うとよくわかる(僕の場合、翻訳ストレッチで使っている『英文標準問題精講』『英文解釈教室』等々の英文解釈本にはこの本の提唱する「読み方」が使えると実感する)。

「本書では『こなれた翻訳』をめざさないでください。日本語としての自然さや巧みさを最優先すると“自己中つぎはぎ読み”を助長してしまう可能性が高い」(冨岡英敬著『英文「超」精読』p34)

本書は訳す本ではなく、読む本。英文を読みながら、ネイティブの理解に近づくための努力を強調している。音読の仕方(頭の構え方とでも言うかな)まで指示される。汎用性がかなり高い本だなという印象を日々強くしている。

……というのが一昨日と昨日寝る前に、枕元で紙とペンで練習問題を解きながら400ページ超の本の35ページまで読み進んだ上での感想。世の中には英文解釈や翻訳の参考書がたくさんがありますが、実は、学んだことをどう定着させるのか、「参考書の勉強の仕方の本」を解説した本はなかった。その意味で画期的な本だと思います。今後感想が変わるかもしれない(変わらないかもしれない)がとりあえず今日はここまで。

英文「超」精読――ほんとうの意味がわかる | 冨岡 英敬 |本 | 通販 | Amazon

 

「誤訳」と「悪訳」

「『誤訳』とは、原文についての(語句・構文・文法・内容などの面における)解釈が間違っていて、それが原因で生まれる訳文。
『悪訳』とは、解釈そのものは正しく行われていても、訳文を通して原文の内容の正しい理解に到達することが困難なもの、としておく。つまり『誤訳』は解釈の誤りに由来し、『悪訳』は表現の欠陥にかかわる。
(中原道喜著『誤訳の構造』(聖文新社)p12より)

3年前の1月から、僕自身は訳さずに複数の翻訳者の方の翻訳を校閲して一つのレポートにまとめる仕事をしています。それで感じるのは、「悪訳」は訳者本人よりも他人の方が気づきやすいということ。

翻訳者はどうしても原文に近づきすぎて、できあがりの日本語を他人ほどには客観的に見られない。翻訳を担当される翻訳者の皆さんは大半が実務経験者で、しかも全員この道10年以上なので、僕が手を入れる所はほとんどが(誤訳ではなく)「悪訳」で、かなり直すことも多いけれども、それは僕の方が翻訳ができるからではなく僕が翻訳を担当していないからだと思う。実際、時たま人手が足りなくなって僕が翻訳すると、僕の「悪訳」も直される(恥)。翻訳者の準備段階としての単なるチェッカーでなく校閲者は必要だと強く感じます。