(1)2019年7月6日
死は生ではないが、死にいたる時間は生にほかならない。とすれば、死ぬことは、その最後までいかに生きるかということなのではないか。
先日、ドイツの哲学者ハイデガーの書いたものを読んでいたら、次のような文章にであった。人間が「死すべき者」と呼ばれるのは、人間が死ぬことができるからである。死ぬのは人間だけである。動物はただ生を終えるだけである。
なるほど、と思った。
(「『死すべき者』の生き方」 佐伯啓思 本日付朝日新聞)
*生や死に関する文章は何度も読んだことはあるが、今回は初めて心に刺さった。年齢だろうか。
(2)2018年7月6日 ·
人生、顔じゃない。顔になっていくのが人生なんだ。 田村隆一
(「折々のことば」本日付朝日新聞より)
*いや~、何か勇気をもらった。