金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

上野さんのご意見に概ね賛成だが・・・

上野さんのご意見に概ね賛成。ただし、

(以下引用)「アスリートに罪はない」「選手がかわいそう」という言葉が五輪の免罪符のように使われましたが、最近の感染状況を見るとこれにも賛同できません。国民全員が我慢を強いられています。「みんなでこの難局を乗り越えるために、一緒に我慢しよう」とアスリートに求めてはいけないでしょうか。(引用ここまで)

これは東京オリンピックを開催するかどうかを決める「前」、あるいは1年前なら正しいと思う(が、非現実的な選択肢だ)。

あるいは、この6,7月のように本番直前であっても東京オリンピックの開催中止を国として決定し、「みんなでこの難局を乗り越えるために、一緒に我慢しよう」とアスリートを説得するのは正しい。

しかし、(それが政府による横暴だったとしても)オリンピック開催が決定したという事実を前提に、コンディション調整をして本番を迎えようとしている当事者である選手に向かって、「(開催が決定している)オリンピックに一市民の良識で参加するな」という圧力をかけるのは酷だと思う。

もっと言ってしまえば、政府にオリンピックを中止させられなかった我々国民が、選手に「出るな」と迫るのは、そこに向かって誠心誠意努力してきた選手たちへの責任転嫁に他ならず、彼ら彼女らに対して失礼だと思う。

例えば来年3月になってもコロナウイルスの猛威が収まらなかったら、「小中高の入試中止」というアイデアが出たって不思議ではない。人流を伴うからね。

大人がその議論をするのは大いに結構。場合によったら来春の入試は「中止」という世論の雰囲気が高まるかもしれない。しかし受験界や多くお親子の強い願いで入試が強行されたとしよう。そしてそれが1月に決まったとする。

僕たちは受験生およびその親に対して、「入試は政府の横暴によって強行されるが、君は一市民として棄権せよ」と言えるか?言ってはいけないと思う。彼らは当事者だからだ。あることを前提に必死になって努力を続けてきて、まさに本番を目前に控えた当事者にそれを求めるのは間違っている。強行されてしまったら「頑張って!」と応援するのが筋だと思います。

news.yahoo.co.jp

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