昨日、一昨日の晩と「「五輪の厨(ちゅう)房密着800日 選手村食堂の秘められたドラマ」を見ながらつくづく思ったのだが、選手村の食堂を準備していたスタッフから見ると、何を言われても「安全・安心の大会を実施する」と愚直に断言し続けた菅義偉首相がとても頼もしく見えたのではないかな。
「少しでも(五輪開催に)ネガティブなことを考えると物が進まないので、中止になったことは考えずに必死にやり抜くしかない」という統括責任者の(2020年6月頃)のインタビューは迫力があった。選手村で出す食材には厳しい基準があって、「〇〇が何トン必要!」と言っても、その基準を満たす産地にそれがないと使えないそうだ。量を揃えればよいというものでもない。量がとてつもなく多いし物流にも時間がかかるので、電話1本で「はい、キャンセル」というわけにもいかない。
そこで必死になって準備している人たちに向かって「君たちは給食会社の社員である前に、一市民としてオリンピックに反対すべきではないのか!」とは言えないよ。
それでも僕は五輪開催に反対だが、立場によって見方は変わるし、政治的判断をどう現場に説明して(こういう説明は菅首相はできないのだけれど、あの現場には、世間への説明が足りないとしか思えないあの木訥な姿勢が大きな励みとなっていた「かも」しれない)頑張ってもらうかをよく考えるべきなのだなあと改めて思いました。