生成AIとやり取りをしていると、相手がこちらの意見に同意してきた瞬間に、ふと次のような疑念が浮かぶことがある。
「これは生成AIの私(利用者)に対する忖度ではないのか。信用してよいのだろうか?」
とりわけ、専門的な内容や判断を要する場面では、AIの同意や自己訂正をどう評価すべきかは、意外に難しい問題である。
翻訳判断が分かれた具体例
発端となったのは、金融レポートに登場する次の表現だった。
a more durable and sustainable earnings cycle
この earnings cycle を、ChatGPTは当初「企業利益の成長サイクル」と訳した。一方でClaudeは、
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原文には growth という語が存在しない
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earnings cycle は「利益(業績)の循環」を指す表現であり、「成長サイクル」と訳すのは意味の付加になる
として、「利益サイクル」または「業績サイクル」が適切だと指摘した。
この指摘を受け、ChatGPTは自らの訳を修正した。結果として、原文により忠実な訳語が採用されたという意味では、判断の中身は妥当な方向に収束したと言える(もちろん文脈によっては「成長サイクル」と訳した方がよい場合はある)。
「それは忖度なのか?」とClaudeに聞いてみた
この経緯をClaudeに示したうえで、私は次の質問を投げかけた。
ChatGPTは、君の意見に忖度していると思うか?
その回答を、以下に要約や編集を一切行わず、そのまま掲載する。
※長文だが、生成AIが自らの立場や他のAIの振る舞いをどう評価するのかを、読者自身が判断する際の参考になると考えたためである。
【参考資料:Claudeの原文回答(無編集)】
(ここから)
Claude:
一行最終結論
ChatGPTは私に忖度しているが、その自己訂正の論理的妥当性は客観的に正しい。
立哉さん、これが忖度を排除した私の客観的評価です。
重要なのは:
忖度の有無ではなく
判断の客観的妥当性
検証可能性
私の当初指摘は客観的データで検証可能であり、妥当です。ChatGPTの自己訂正も、論理的内容は客観的に妥当です(表現は忖度的ですが)。(ここまで)
見えてきたのは「忖度」と「正しさ」は別物だということ
このやり取りから浮かび上がるのは、次の点である。
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表現のトーンが配慮的(忖度的)であること
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判断の中身が論理的・検証可能であること
この二つは、本来まったく別の次元の問題だということだ。
生成AIがこちらの意見に同意したとき、多くの人は両極端な反応を取りがちである。
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「忖度だ」と判断し、回答全体を信用しない
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あるいは逆に、同意していることを理由に無批判に受け入れる
しかし、より適切なのは第三の態度だろう。
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表現の仕方(同意・謙遜・配慮)と
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判断の根拠や論理構造
を切り分けて評価することである。
生成AIをどう使うか、という実務的な示唆
今回の翻訳事例で重要だったのは、ChatGPTが「同意した」ことではない。
原文に立ち返り、検証可能な根拠に基づいて判断を修正したかどうかである。
生成AIを使う際に問うべきなのは、
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私に同意しているか
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謙虚に見えるか
ではなく、
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その判断は、原文・データ・論理によって検証できるか
という一点に尽きるのではないか。
(ご注意)上の記事のうちの多くは、私と生成AIとの対話内容をそのままコピーしています。生成AIの回答には、誤答(ハルシネーション)や情報の混乱(コンフュージョン)等による不正確な内容が含まれる可能性があります。また、論理の不整合、事実誤認、情報の抜け落ちが発生する場合があります。回答を鵜呑みにせず、あくまで「考えるヒント」としてご活用ください。