金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「独りでも、大家族 〜久留米“じじっか”の6か月〜」を見て(2025年8月13日)

この番組を、夫婦で二度も見入ってしまった。

他人のために――しかも、その多くは自死直前まで追い詰められている人たちのために――ここまで尽くすなんて、僕にはとてもできない。おそらく精神がもたない(実際、スタッフの中にはうつ病になった方もいるそうだ)。

そうした重く辛い事情を抱えた「他人」を、「おかえりなさい」と迎える彼女たちの真摯な姿に、大いに心を動かされた。

ただ、一つだけ気になった代表者の方の言葉がある。

「ひとりひとりが抱えている事情は、それぞれ細かく異なっているので、公的制度ではすべてを救いきれない“隙間”ができてしまう。その隙間を埋めるのが(私たち)『じ・じっか』の役割だ。」

しかし、個人では解決できない部分を補うセーフティーネットを提供するのは、本来“公”の役割なのではないだろうか。ラスト・リゾート(最後の頼みの綱)が民間支援になってしまうのだろうか。結局、「公」にできることは、そうした施設やグループをお金で支えることに行きつくのか。

う~ん、僕にも答えはわからない。では、どうすればいいのか。そして、自分には何かできるのか――それともできないのか。

彼女たちの行為と少年少女たちとのやり取りに胸が熱くなる一方で、自分の無力さにうしろめたさを感じながら、モヤモヤは残った。

それでも、見てよかった。