金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

写経(原文と訳文の書き写し)のやり方と、最近の気づき

毎朝10分、写経をしている。僕は村井章子さんを最も尊敬しているので彼女の訳書を2冊、その原著とともに毎日交互に書き写しています。なるべく大きめの大学ノートを見開きで使い、1行目に原文、2行目にに日本語を書き写すという・・・という単純な方式だ。写経とは元々仏教用語で「仏教経典を書写すること」(コトバンク)という意味だが、いつの頃からか我々同業者の間では、原文と訳文を写す作業をこう呼ぶようになった、と僕は理解している。僕自身は毎日これを始めて5年は経っていると思う。

書き写す際には、原則として原文一文(ピリオドまで)を書き写し、原文の文末ごとに、それに相当する日本語訳を書き写すようにしている。大半の文章は原文のピリオドと日本語の句点が一致するのだが、原文が終わっても日本語が続いていることもあるし、その逆もある。元々は、原文のピリオドまで来たところでいったん日本語に戻って書き写すことでスペースの調整をするためにそうしていた。日本語の訳文の方が原文よりも長くなることが多く、その訳文を終えたところの上の行から次の原文を書き始めるので、原文同士の間に隙間ができる。もちろんその逆の場合には、原文が続いている中で、訳文と訳文の間に一定の隙間ができる。原文間、訳文間にできるそうした「すき間の違い」を眺め比較するのも学びになる。長い文の場合、読点(、)の使い方も大いに参考になる。

具体的には、まず原文をそのまま書き写して音読する。漠然とどう訳すのかなあとは考えるがこの作業の目的は「書き写す」ことにあるのであまり深く考えない。初めの頃は殴り書きしていたのだが、最近はなるべく丁寧に書くように心がけている(日本語訳も同じだ)。どの程度「丁寧に」かというと、手書きの原文を見た時に「ちゃんと読める」程度。その後、訳文を書き写す。ひらがなはひらがな、漢字は漢字、カタカナはカタカナをそのまま写すようにしている。こうすることで「あ、こういうときは漢字なんだ!」「カタカナや中黒(・)はこうつけるのか!」といった発見があって面白い。訳文を写し終えると、今いちど英語と訳文を音読する。自分の字が汚くて読めない時には本に戻ってその部分だけ書き直す。したがって1日1~2文しか進まない。しかしそれでよいと思っている。作業を「進める」ことが目的ではない。この作業に「取り組む」こと自身に意義があるのだ。

ボールペンは3色。普段は黒を使う。「お見事!」「これは今後使えるかも!?」と思った箇所は緑色で書く。「こんな訳は自分には絶対無理!!」は赤。原文にはないが読者の読みやすさを勘案して訳文にだけ書かれている箇所も赤。本当に重要だと思った箇所は赤丸で囲ったり、余白にメモしたり・・・と試験勉強の時の参考書への書き込みのようなかんじになります。

写経を始めた頃は、「どうしてこんな訳語が生まれるのだろう?」という勉強の意味合いと「素晴らしい日本語の訳文を少しでもマネできれば」と思って始めたのが、ここ数カ月はこれまでと違う気づきがあった。

翻訳が自然な日本語かどうかを決めるのは、①英語の理解と訳語の選択もさることながら、特に長い文の場合、②語順、特に副詞句や形容詞句をどの位置に置くか、それに対して主語または主節をどう配置するか(配置しないか)がかなり重要だ、ということは翻訳者ならだれでも知っていると思うが、最近、写経がその重要な訓練になることに気がついたのだ。

写経(原文と優れた訳文の書き写し)の大きな利点としては②が挙げられると思う。1文の原文を書き写して、それに相当する日本語を書き写し、5,6回読んで配置をよく比較することで学ぶことが本当に多いのだ。

同業者の方にしか通じない話でしょうが重要だと思うのでここに書き留めておきます。写経についてはこのブログでも何度も書いてきたのでご興味のある方はどうぞ(添付した古い記事はその時々で経験、感想、反省、結論または仮説です)。

tbest.hatenablog.com

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