金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「30代は来た球をすべて打て」:出会った言葉:昨年~5年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(258)

(1)昨年の今日
……これに対して、情報を正確に伝えることが目的の実用テクストについては、近い将来、AIの発達とともに、すべてコンピュータで翻訳の行われる時代がくるでしょう。そして、このような「実用テクストの翻訳」とは、言い換えれば、文書をも含めた意味での「通訳」の領分にほかなりません。つまり口頭・文書を問わず「通訳研究」はAIの発達とともに、研究の中に吸収されてしまうだろう、ということです。(山本史郎著『翻訳の授業』(朝日新書)p91)
*山本先生のご意見は、僕にはかなり説得力がありますが、同書の第4章「実用と文学のはざま」で、文章を情報と文芸の2種類だけに分類するのはちょっと乱暴かなと思った。実用でも(純)文学でもない、「人の意見」はどうなるのだ?ということ。書籍で言えばノンフィクションはどうなるのか?という点。文体ではなく、筆者のイイタイコトを主張する文章はどうなるのか?僕はこの道行きはわからないけれども、今、明後日の勉強会用に読んでいる『ホモデウス』(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳(河出書房新社))に面白いエピソードが紹介されていた。今から25年前ほど前にはインターネットに接続するのさえ大変だった。その当時に今のスマホ時代を予想できたか?だとしたら今から25年後に何が起きるなんて全く分からないではないか、というのだ。
職人は、先のことを考えず、今目の前の仕事を一生懸命やるだけだなあ。www.amazon.co.jp22)(2)3年間の今日
「30代は来た球をすべて打て。そうすれば40代になった時、自分が何に一番適しているかを人が決めてくれるから」と。それを信じ、あえて自分の作家としてのカラーを決めず、依頼された仕事はほとんど受けてきた。「年に5、6本は書いていました。振り返ると30代はずっと締め切りに追われていたような感じ(笑)」「30代は来た球をすべて打て。そうすれば40代になった時、自分が何に一番適しているかを人が決めてくれるから」と。それを信じ、あえて自分の作家としてのカラーを決めず、依頼された仕事はほとんど受けてきた。「年に5、6本は書いていました。振り返ると30代はずっと締め切りに追われていたような感じ(笑)」
「今の劇作家・演出家という仕事は前よりはるかにプレッシャーが大きく、作った作品が何の価値もないと評価されるかもしれないという恐怖と常に格闘もしていますが、それでも会社勤めの頃の自分には戻りたくない。その気持ちが原動力になっています」 蓬莱竜太さん
Hero’s File 2019年4月26日付朝日新聞社会面)

tenshoku.mynavi.jp

(3)5年前の今日
けものはいても のけものはいない。
けものフレンズ」という番組のキャッチフレーズだそうです(「荻上チキのセッション22」より