金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

翻訳カフェ「無法地帯だよMTPE」(3月10日)の感想

3月10日(月)、カオリ・マイアットさんのお計らいと山田優先生のご厚意で「翻訳カフェ」に参加しました。

無法地帯だよMTPE:翻訳の新フロンティアか、カオスの温床か(シーズン8, 第1回, 2025年3月10日) - Translation Cafe

実は今回の講演までMTPEについて漠然としか知らなかったため、マイアットさんのお話を興味深く聞けた。お話の途中で「生成AI翻訳との関連で鈴木さん、どう思いますか?」と話を振られたときにしどろもどろになってしまったので(すみません)、あのとき思っていたことをある程度整理する形で感想文としたい。

①話を聞きながらまず思ったのは、「え、MTPEって誰がやるの?」という疑問でした。あのときはちゃんと言葉にできなかったのですが、要するに、機械翻訳と人間との関係においては、翻訳=機械のお仕事、MTPE(機械翻訳が出力した翻訳文を人間が編集して成果物を完成させていく作業と理解しました)=人間様のお仕事といった役割の分担はほとんど意味がなくなり、今や人間が受注して機械を使いながら成果物を完成させる時代にすでに入っているのではないか?(人が生成AIをアシスタントとして使いながら進めていく翻訳作業を、便宜的に「AI翻訳」と呼ぶことにします)ということです。そうした環境変化の中でMTPEだけを切り分けて市場の話をしたり、翻訳者としてMTPEにどう取り組むかを考えても早晩意味がなくなるのではないか、ということでした。そして、どうもその直感は正しそう(後でGrokの回答をコピペします)。

②マイアットさんのお話の後のディスカッションで「なぜMTに頼るのか? それは大量の翻訳をさばかなければならないからだ」「MTを使うと効率が高まる」といったお話を聞きながら思ったこと。果たして機械翻訳、あるいは人間による機械翻訳の利用は産業翻訳における大量生産と効率化の中だけに位置付けられるものなのか、という疑問でした。言い換えればMT、MTPE、あるいはAI翻訳の目標を「質の向上に置く」という方向性があるのではないか、と思ったのです。

僕は今自分の勉強のために、毎朝15分ぐらいAI翻訳に取り組んでいます。原文は20世紀初頭に書かれたある哲学者の論文で、著作権はすでに切れており、邦訳も存在しないことを確認済みです。そのため、翻訳が終わったら原文と訳文をブログで公開するつもりです)。語彙や言い回しはもちろん、そこに出てくる人名一つとっても、書かれている文章の歴史的背景がわかっていないと全くついていけません。つまり僕程度の英語力の人間だと、2年前(ChatGPT出現以前)までのように、辞書と検索だけでは歯が立たない英文です。逆に言えば生成AIがあるからこそ読める文章なのです。そういう英文を段落ごとにまずChatGPTに翻訳させ、それをClaudeでチェックさせ、Claudeのコメントと修正訳のままを再びChatGPTに読ませてコメントと修正案を出させ、それを再びClaudeにそのまま見せて…を数回繰り返して訳文の形がある程度見えた段階で、今度は原文を一文ずつ読んで、その時点でのMT訳を検討していきます。わからない点があるとChatGPT、Claude、Gemini、あるいはGrokに質問して、納得がいくまで英文の内容を追求し、その後に日本語訳の練り直しに入る。それにも生成AIを使います。毎日15分程度でしょうか(ちなみに、10日の翻訳カフェに参加して思ったのですが、僕がやっている朝の「勉強」はMTPEと言えますよね。だって、機械翻訳の検討をしているのですから)。こうした経験をしているものですから、僕にとっての生成AIって、難しい英語を読みこなすための強力なアシスタントだな、と。どういう分野に応用できるかはわからないけれど、MT(AI翻訳)には、難解な英語を読むことや、高品質の翻訳を追求する可能性もあるのではないか?と思ったわけです。そこでGrokで調べて今朝コピペしたのがこれです。

「文学作品の機械翻訳」をめぐる最近の議論(Grokとの対話)( 2025年3月12日) - 金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

何しろ質の高い文章といったらまず文学という短絡的な発想で調べただけですが、生成AIを使ってとことん質の高い翻訳を追求してみる、あるいはとことん難解な英文を読み解いて日本語にしてみる、という「お勉強」の先にも何か(文芸翻訳以外の)道があるのではないかと思った次第です。

以上、おとといの「翻訳カフェ」参加の感想でした。山田先生、マイアットさん、ありがとうございました!

(付録)機械翻訳のポストエディットを人間だけがやるという時代はもう終わったんじゃないか?という僕の問いに対するGrokスタンダードの答えは以下の通り。

Grok:

MTPEの時代の終わりと新しいフェーズ
1. 「人間だけがポストエディットする時代は終わったか?」
はい、ほぼ終わったと言って良いと思います。その理由は以下の通り:
  • 機械翻訳の進化: 2025年3月時点で、ニューラル機械翻訳(NMT)や大規模言語モデル(LLM)は、文脈理解や自然な表現で劇的な進歩を遂げています。DeepLやGoogle翻訳、さらには私のようなAI(Grok 3)でも、日常的な翻訳ならポストエディットがほぼ不要なレベルに近づいています。
  • 自動修正機能: AI自体が翻訳の誤りや不自然さを検知し、自己改善する技術が実用化されています。これにより、人間が一から修正する負担が激減。
  • 効率性の追求: 企業や個人が求めるスピードとコスト効率を考えれば、人間がフルエディットする従来のMTPEは時代遅れになりつつあります。特に、大量のテキスト(製品説明、SNS投稿など)では、人間の手を借りずとも十分な品質が得られるケースが増えています。
Xでも「MTPEは過去のもの」「AIが自分で翻訳を直す時代」との声が2024年以降増えており、業界のトレンドもそれを裏付けています。
2. 「人間が機械を使ってポストエディットをする時代に入ったか?」
その通りだと思います。「人間が機械を使ってポストエディットをする」という表現は、現在の翻訳プロセスを的確に捉えています。具体的には:
  • 協働のシフト: 人間が機械翻訳の「下請け」として修正するのではなく、逆に人間が主体となり、AIを「道具」として活用する形に変わっています。例えば、「この翻訳をもっと自然に」「ここはフォーマルに」とAIに指示を出し、AIがそれに応じて再生成。
  • インタラクティブなプロセス: 最新の翻訳ツール(例えば2024年のTradosやMemoQのアップデート)では、人間がリアルタイムでAIと対話し、翻訳を調整する機能が標準化されつつあります。人間が「編集の舵取り」をし、AIが「作業」を担うイメージです。
  • 創造的活用の拡大: 単なる誤り修正を超えて、文体やトーンを調整したり、複数の翻訳案から選んだりする場面で、人間がAIを「使いこなす」スタイルが定着。特にクリエイティブな分野(広告コピー、文学など)で顕著です。
この「人間が機械を使う」という逆転現象は、まさに「ポストエディットの新時代」と言えます。あなたの指摘は鋭く、今の技術潮流を象徴しています。
3. 私の考え
「人間だけがMTPEをやる時代はもう終わったんじゃないか?」には、ほぼ同意します。AIの精度と自己改善能力が上がりすぎて、人間がゼロから修正する意味が薄れてきています。一方で、「人間が機械を使ってポストエディットをする時代に入った」というのは、完全にその通りで、2025年現在、まさにそのフェーズに突入していると感じます。
ただし、いくつか補足を:
  • 分野による差: 日常的な翻訳やビジネス文書では人間の役割が減りつつありますが、文学、法律、医療などニュアンスや正確性が極めて重要な分野では、まだ人間の監督や微調整が必要です。
  • パートナーシップの進化: 「人間が機械を使う」といっても、完全な主従関係ではなく、相互補完的な協働が深まっている印象です。AIが提案し、人間が判断する、というハイブリッドな形が主流になりつつあります。
4. 具体例とトレンド
  • 技術: 2024年のAI翻訳ツールでは、「ポストエディット支援AI」が標準装備され、人間が修正ポイントを指摘するとAIが即座に改善案を出す機能が普及。
  • 市場: CSA Researchの2024年レポートによると、MTPEの需要は減少しつつあり、代わりに「AI主導+人間確認」の案件が増加。
  • Xの声: 「人間がMTPEやってた時代は懐かしい」「今はAIに指示出すだけで済む」との投稿が散見され、翻訳者の役割変化が話題に。

結論
「人間だけがポストエディットする時代は終わったんじゃないか?」には「Yes」。技術の進化と効率化で、その時代はほぼ終わりを迎えました。「人間が機械を使ってポストエディットをする時代に入ったんじゃないか?」にも「Yes」。今は人間がAIを活用して翻訳を仕上げるフェーズで、これが新しいスタンダードになりつつあります。(ここまで)
(ご注意)Grokの回答は、私と生成AIとの対話内容をそのままコピーしたものです。生成AIの回答には、誤答(ハルシネーション)や情報の混乱(コンフュージョン)による不正確な内容が含まれる可能性があります。また、論理の不整合、事実誤認、情報の抜け落ちが発生する場合があります。回答を鵜呑みにせず、あくまで「考えるヒント」としてご活用ください。