金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

『Q思考』はプロンプトエンジニアリングに関する最高の副読本だ!(1万5千部突破記念)

『Q思考――シンプルな問いで本質をつかむ思考法』5刷決定!!
先ほど編集部からご連絡ありました。
2016年に出た本が、コツコツ売れてきて累計で1万5000部突破しております。
これはジワーッとうれしいです。
生成AIブームで質問の重要性が大きく見直された結果なんだと思います。
編集部と読者の皆さんに心から感謝!

・・・で改めて本書の目次を見たところ、生成AIの今の時代にピタリだと思いいたりました。出版が時代よりも8年早過ぎたのかも。出版元のダイヤモンド社様に、出版当時に掲載されたオンライン記事が見つかりましたので、こちらをお読みいただければ、本書が最高のプロンプト・エンジニアリング用副読本になると確信した次第。

いよいよここから、大ベストセラーへの道をまっしぐらだ!!!

まずは記事を読んでみてくださいな。

 

1.「出世のスピードは質問の多さに比例する」

diamond.jp

2.ブレストはこんなに無意味だった!研究で判明した真実とは?

diamond.jp

3.全米で流行中!人生が変わる「1行の質問」って?

diamond.jp

4.コレで頭がよくなる!ヴジャデ発想法のすごい効果

diamond.jp

 

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くじらの構文をめぐる生成AIとのやり取り(ご参考)(2024年4月3日)

プロンプト:問題です。次の(  )内に適語を入れて、訳せ(紙とペンを用意して考えてね)。
A whale is no ( ) a mammal than a horse is.

[Claude3]
はい、じっくり考えてみます。

A whale is no (less) a mammal than a horse is.

クジラは、馬がそうであるのと同様に哺乳類であるという意味になります。

適語は "less" です。クジラと馬は共に哺乳類の動物なので、クジラが哺乳類であることを否定する必要がありません。そのため、"less"(少なくない)が適切な語となります。

[Gemini]
答えは「less」です。

この文は「クジラは馬と同じくらい哺乳類である」という意味の「クジラ構文」と呼ばれる比較表現です。

「less」は「〜より少ない」という意味の形容詞なので、「クジラは馬より哺乳類ではない」という否定的な意味になってしまいます。

そのため、この文の意味としては「クジラは馬と同じくらい哺乳類である」という肯定的な意味になるように、「no less」という二語熟語を使う必要があります。

「no less」は「〜と同じくらい」という意味なので、「クジラは馬と同じくらい哺乳類である」という正しい意味になります。

訳:

クジラは馬と同じくらい哺乳類である。

解説:

「クジラ構文」とは、「AはBと同じくらいCである」という意味を表す比較表現です。
この文では、「A」は「クジラ」、「B」は「馬」、「C」は「哺乳類」です。
「no less」は「〜と同じくらい」という意味の二語熟語です。

[Bing-cockpit]
鯨は、馬よりも哺乳類ではない。

問2
(  )内に入る英語も答えよ。文法的な説明もね。

[Bing-cockpit]2
A whale is no more a mammal than a horse is.

In this sentence, the word “more” is the appropriate term to complete the comparison. It establishes that both a whale and a horse are equally mammals. The structure of the sentence follows a comparative pattern, emphasizing the similarity between the two animals.

問3
A whale is no less a mammal than a horse is.との違いは?

[Bing-cockpit]3
「A whale is no less a mammal than a horse is.」と「A whale is no more a mammal than a horse is.」は、意味が逆です。

「A whale is no less a mammal than a horse is.」は、クジラも馬も同じくらい哺乳類であることを強調しています。つまり、両方の動物は同じくらい哺乳類であるという点に焦点を当てています。
一方で、「A whale is no more a mammal than a horse is.」は、クジラも馬もどちらも哺乳類ではないという意味です。この文は、両方の動物が哺乳類であることを否定しています。
したがって、文脈によって異なる意味を持つことに注意してください。

問4
しかし、馬もクジラも哺乳類だろう。だったらmoreは不正解ではないか?

[Bing-cockpit]4
確かに、馬もクジラも両方とも哺乳類ですね。その点で「more」は適切ではありません。誤りがあったことを認識し、お詫び申し上げます。

正しい文は「A whale is no less a mammal than a horse is.」です。この文は、クジラも馬も同じくらい哺乳類であることを強調しています。つまり、両方の動物は同じくらい哺乳類であるという点に焦点を当てています。

誤りを指摘いただき、ありがとうございました。

[ChatGPT4]1
問題の答えは「more」です。

訳:クジラは馬が哺乳類であるのと同様に、哺乳類です。

問2
君の言う意味ならlessが入るのでは?

[ChatGPT4]2
失礼しました、訂正いたします。正しいフレーズは、"A whale is no less a mammal than a horse is." であり、これを正確に訳すと、「クジラは馬が哺乳類であるのと同じくらい、哺乳類です。」となります。文の構造上、「less」が適切な選択肢でした。

問3
君、もっと「学習」してよ。月に20ドルしはらってんだからさあ。

[ChatGPT4]3
ご指摘ありがとうございます。確かに、私の回答は不正確でした。さらに学び、正確な情報を提供できるよう努めます。お支払いいただいていることに対して、より質の高いサービスを提供することが重要です。今後ともよろしくお願いいたします。

(ここまで)

正解は以下の通り
(  )内に入るのはless。
訳文は:クジラは馬と同様に哺乳類である。
出所:小倉弘著『難構文のトリセツ』p173

以上、生成AIのご利用は自己責任で。

 

 

ディクテーション/シャドウイング練習用プロンプト(ご参考)(2024年4月1日)

*ChatGPTの音声機能を使った勉強法のご紹介

(1)ディクテーション/シャドウイング練習用のプロンプト
Provide an informative English sentence with a difficulty level of TOEIC 990, ranging from 10 to 20 words. The theme can be anything related to culture, education, science, business, sports, or other familiar topics to university students. Please repeat the sentence twenty times. 

(練習の要領)①後について言えるようになるまで繰り返す(2~3回)。②聴いた英文を書き出して赤ペンでチェック(英文は読まれ続けている)。③1文が終わったあとに英語を繰り返せるようにする。④なるべく英語より自分が先に言えるようにする(これがなかなかできない)。
*これはもう1年ぐらい、1日おきに続けている練習の一貫で、即興英文日誌のChatGPTによる修正→添削とセットで15分間取り組んでいます。

(2)英文を5回聴いた「後に」その英文を言えるようになるための訓練用プロンプト
Provide an informative English sentence with a difficulty level of TOEIC 800, around 10 words. The theme can be anything related to culture, education, science, business, sports, or other familiar topics to junior high school students. Please repeat the sentence five times.

(練習の要領)とにかく5回聴いた後で一呼吸おいて英文をいえるようにする訓練。これは①(TOEIC 990レベル。対象は大学生)に比べかなり英語のレベルを下げないととできない。現在は5回だが、いずれ3回にしていきたい。レベル(現在はTOEIC800レベルの語彙で内容は中学生レベル)も少しずつ上げていければよいと思っている。
*こちらは先日ほぼ1年ぶりに受けたオンライン英会話のスピーキングテストと同形式。実際のテストはもう少し易しめの英文を2回聴いて、その後一拍置いてからマイクに向かって話し採点してもらうテスト。これは効くと思い始めることにしました。ただ、文章の長さとレベル設定にはまだしばらく時間がかかりそうです。

機械翻訳は映画製作に似ている/Machine Translation Is Similar to Filmmaking: Humans and Machines as Directors and Actors

機械翻訳(「AIを使った翻訳)を映画にたとえると、英日(外国語→母語)翻訳での僕は監督兼主役。機械は助監督またはアシスタント。日英(母語→外国語)翻訳での僕は監督。機械は役者。

英日では自分が主体的に作品をつくっていく。日英では役者に演技をさせながら作品を作り上げるというイメージだと思う。

どちらも機械の助けを借りて人間が翻訳を作り上げていくというこの考え方に、まず機械に訳させてそれを人間が修正するという「ポストエディット」(後処理)の発想はない。

In the realm of translation, envisioning the process through the lens of filmmaking offers a nuanced perspective on the roles played by human translators and machine translation tools("the machine").

In English-to-Japanese (foreign language to native language) translation, the human translator assumes the dual role of director and lead actor, steering the narrative and embodying the essence of the message, with machine  serving as the assistant director or assistant, providing support and guidance.

Conversely, in Japanese-to-English (native language to foreign language) translation, the human translator retains the directorial role, orchestrating the flow and tone of the translation, while machine steps into the spotlight as the actor, tasked with delivering the performance under the director's guidance.

This analogy highlights the human translator's central role in shaping the final product, whether by directly conveying the message or by guiding the machine's output to achieve the desired effect. Notably, this perspective does not accommodate the concept of "post-editing," underscoring a proactive approach to translation where the human translator's expertise and creative input are paramount, irrespective of the direction of translation.

「翻訳の民主化で『言語の壁』取り払う DeepL創業者 テックの未来」(2024年3月26日付日本経済新聞)を読んで

(以下引用)「同氏は生成AIの中核技術である大規模言語モデルの進化などを受け「よりインタラクティブ(相互的)な翻訳が可能になるだろう」と予測する。AIは文章を訳すだけの存在ではなく、利用者の意図などをくんで精緻な翻訳を実現する「アシスタントの役割が強くなっていく」とみる。」(「翻訳の民主化で「言語の壁」取り払う DeepL創業者 テックの未来」)(ここまで)

この見方は僕の実感に合う。その方向は間違いない。ただ

「よりインタラクティブ(相互的)な翻訳」はすでに他社によって実現しているのだ。したがって、「可能になるだろう」というご発言は、その方向性を承知していながら、同社では技術的なハードルによって実現の見通しが立っていないことを認めているに等しいのではないか、と僕は読んだ。

この見方がもし正しければ同社の置かれている競争環境はかなり厳しい。僕が経営者なら、すでに対話型翻訳を手掛けているどこか大手の傘下に入って、翻訳精度の向上専門業者に特化する道を模索すると思う(いや、もうその方向に動いているのかな?)。

 

↓は有料記事です。

www.nikkei.com

 

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対話型翻訳(ChatGPT)サービスで人間翻訳の重要性がかえって明らかに(2024年3月27日更新)

ChatGPTを用いた対話型翻訳サービスが登場して、非対話型の翻訳サービスがいきなり(数)周回遅れとなった。

これが、ChatGPTに偶然出会い、最初は遊びで、いつの間にか仕事のアシスタントして毎日使うようになってほぼ1年がたった私の実感だ

ポイントは、翻訳の精度ではないと思う。もちろん「機械」の精度を上げる努力は必要だろうけれども、「どちらの精度が高いのか?」という比較にはあまり意味がないような気がする。もっと大事なことは、ChatGPTによって「対話型」で翻訳を完成させることが可能になった、ということではないか。その結果、翻訳には最終的に人間が絡まないと完成しないことが明らかになったと僕は考える。D社とAI社の「翻訳能力」自体はすでに高いのだろう。だから対話型の運用さえできれば、精度の差は人間が埋めていけると思う。

機械翻訳って、なるべく翻訳を「自動化する」、つまりなるべく人手をかけずに翻訳を実現させるためのソフトでありサービスであったし今もそうなのかもしれない。しかし実は対話型のサービスが始まったことで、ソース言語で書かれた原文をなるべく正確にターゲット言語の自然な文章で表現し原著者の意図を再現するには、かえって人間の果たす役割が大きくなったような気さえするのである。

もっとも、翻訳が最終的に人間に読まれる以上、(原著者の意図、表現ともに)「100%完璧な自動翻訳」はあり得ない。ChatGPTは「完璧ではないがそれに近い翻訳」を実現するための、いわば「ラストワンマイル」に到達するまでの超強力な助っ人(「てこ」または「はしご」)になった。しかしその「ラストワンマイル」を走る(英日であれば当然最後の訳文を書く。日英であれば、英語への翻訳を”機械”に任せて、最後の英文の「選択」をする)という役割は、実は人間が負うということだ。つまり、AI翻訳の登場によって、皮肉なことに、成果物の質は翻訳者(人間)の語学力に依存していることが明らかになってきたのだと思う。

ChatGPTを使ううちに気がついたもう一つの現象は、「機械翻訳」をめぐるこれまでの議論の大半が一気に陳腐化したということだ。多くの研究者や翻訳者が今なおD社の翻訳サービスを前提として「使える」「まだ使えない」を検討し、教育にどう生かすかを議論しているように見えるのだが、ChatGPTを毎日使っている身からすると、すこし古い印象を受ける。ただ、それは仕方がない側面もある。研究者や書籍の著者、たまたまChatGPTをまだ使っていない翻訳者が悪いのではない。技術の進化スピードが速すぎるからだ。

だから、そういう「議論の陳腐化」が起きているからと言って、一足飛びに「そういう議論が無駄になった」わけではない。なぜ陳腐化したのか、なぜ従来のソフトが数周回遅れになったのかの理由を探ることは翻訳や英語教育のあり方を考える上で重要だと僕は考える。研究者の皆さん、頑張ってください。

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最高の誉め言葉:Q社の10周年記念パーティーにて

一昨日、お世話になっているQ社の10周年記念パーティーでのこと(実は日付を1カ月間違えて先月の同じ日にパーティー会場に行ってしまった先である)。翻訳チーム設立当初から(つまり、7年前から)加わっていただいてるYさん(金融翻訳者として20年のベテラン)から声をかけられた。

「この翻訳チームのレベル、とてつもなく高いですよ」

我々の金融翻訳チームは当初から、翻訳者と校閲者が毎月少しずつ入れ替わるシステムを採用している(多くの翻訳者がその月は担当分の翻訳と別の翻訳者による翻訳の校閲に当たる。しかも校閲者は校閲が終わるといったん翻訳者に差し戻し、元の翻訳者との間で内容を合意した上で原稿が校閲者から編集担当である僕に回り、僕は疑問があると翻訳者と校閲者との間で質疑応答を行ったり、場合によってはソースクライアントに質問したりして、他の記事(だいたい毎月10ぐらいの記事が載る)との表現や内容の調節をした上で、日本語だけを見てくれる最終チェック担当者のNさんに原稿が回る。編集者と最終チェック者との間でもファイルの差し戻しと質疑応答が行われて完成に向かうというプロセスだ。なお、全員の翻訳ファイル校閲ファイル(各人のコメント付き)、編集ファイル(コメント付き)、完成ファイルは共有フォルダで全員がどのファイルも見ることができる。

だから、Yさんも毎月誰か(毎月変わる)の校閲を受けて、校閲内容や質疑応答で他の翻訳者のレベルも十分把握されているわけだ(超忙しい方なので、本当に人手が足らない時だけ校閲をお願いしている)。

「他社から頼まれて翻訳を見る機会が時折あるんですが、とても見ていられません。経歴を拝見すると有名大学を出て経験も積んでいるはずなんですがねぇ。というか、このチームのレベルが圧倒的に高いんだと思います」「ありがとうございます!」

な~んて話をしていたら、横で聞いていたTさんが

「私、時たま最終ファイル(完成直前のDTP済みファイル)へのNさんのコメントと鈴木さんの回答を拝見するのですが、すんごい勉強になります」と割って入られた。

Tさんは金融のバックグラウンドはないのだが、著名な経営誌のレギュラー翻訳者として何年も活躍されている。確か3年ぐらい前に翻訳者に欠員が生じた時に、「Tさん、お願い!金融ガチガチのものはあまりアサインしませんし、もしそうなったらフォローしますから!!」と平身低頭して参加してもらったのだ。最終チェックご担当のNさんも金融バックグラウンドはないが翻訳者としてのキャリアが長く、他の仕事でも校閲をなさっているのを僕が知っていた。翻訳者の講演会でなさるご質問が秀逸で、日本語の感覚がとても鋭いことを知っていたので、こちらも5年ほど前から「日本語の最終チェック」専門でお願いしている。僕は僕なりに全力を尽くして編集後のファイルを提出するのですが、毎回20カ所ぐらい、かなり手厳しい修正案とコメントが返ってくる。Tさんはそれをご覧になって感動したとおっしゃったわけだ。

「いや~、僕もいつも恥ずかしくてさ。本当にNさん、毎回針の筵だよ~。いつも勉強させてもらってます」
「どうも」といつもながらのクールなお返事。
Tさんは「「本当に鈴木さんがブログでお書きになっていた通りの、理想的な環境でのお仕事だと思います!!」とおっしゃってくださった。(下の「チームで翻訳/校正というプロジェクトから学んだこと(2021年1月)」をご参照ください)。

7年前に始めた時に、「どうぞ鈴木さんの思う通りに、お好きなようにやってください。すべてお任せします」と言ってほぼ100%任せていただいた。もちろん、喧嘩もしたし(原因は僕です(恥))、いったいどうなることかとヒヤヒヤするさせる(?)局面もありましたが、このプロジェクトもかれこれ7年目に突入。

「この翻訳チームのレベル、とてつもなく高いですよ」。同社10年目のパーティーに参加して、個人的には最高にうれしかったYさんの一言と、皆さんとのやりとりでした。

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