A、B、C, Dさんの翻訳を僕が校閲し、Eさんの翻訳をBさんが、そしてFさんの翻訳をCさんが校閲し、最後にA~Fの校閲済み翻訳の最終チェックを僕がやる、というチーム制の翻訳プロジェクトがスタートして4年目に入った。
分野は金融。A~Fさんともかなりの経験を持った実力者揃いである。僕は普段は翻訳をせず、量が突然多くなったり、翻訳者の誰かが都合が悪くなった時にピンチヒッター的に翻訳をする(その場合はどなたかに校閲をお願いする)。現在は、僕の2回目の翻訳チェックが終わった後で、日本語だけを見て不自然な点を指摘してもらう仕事も他の方(この方もベテランの翻訳者)にお願いしている。
この3年間で感じたことを5つ書いておく。
1.結局(金融)翻訳者の実力の違いは、①事実とロジックをどこまで理解しているか。その上で②(原文の)書き手の不備(事実誤認やロジックの甘さ)をどこまでとがめられるか、③そこを補って日本の読者向けにどこまで筋の通った読みやすい日本語にできるか、に尽きる(ここが文芸翻訳との決定的な違いだと思う)。
2. 校閲者は翻訳者と同じぐらいの経験と知見のある人が当たった方が良い。少なくとも新人の仕事ではない。以前何かの講演会で「翻訳志望者ですが、最初はまずチェッカーから始めようと思っているのですが……」という趣旨の質問をいただき「それは順序が違うと思います」と答えたが、その結論は今も変わらない。
3.きちんと調べる、ミスをしないようにするというのはいわば翻訳者にとって当たり前のことだ。その翻訳者に対し「ミスをするな」「きちんと調べ物をせよ」という追加的なプレッシャーをかけることは余計な負荷をかけていることにならないか?人間はミスをする動物だ。しかしミスを防ぐために翻訳者が3回チェックするよりも、翻訳者が1回、校閲者が1回見直した方がはるかに仕上がりは良くなると思う(なお現在は、校閲担当者は、納品前に翻訳者にいったん修正案を見せて翻訳者の意見を求めるというプロセスを追加している)。
4.翻訳者は、自分の翻訳文に愛着とこだわりがある。一方校閲者は元々の翻訳文を自分がつくっていない分だけ、新しい視点や思い切った表現を思いつくことがある。あくまでも翻訳者の元の翻訳を尊重するという方針の下で事実を確認し、日本語を補正していくことは付加価値を生む。
そうだ、もう一つ大切なことがあった。
5.翻訳者と校閲者は適当に入れ替わった方がよい。翻訳者は校閲者の、そして校閲者は翻訳者の陥りやすい問題点を理解しやすいし、何といっても相手の立場や気持ちが分かる。これは大きいと思う。
以上。