金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

対話型翻訳(ChatGPT)サービスで人間翻訳の重要性がかえって明らかに(2024年3月27日更新)

ChatGPTを用いた対話型翻訳サービスが登場して、非対話型の翻訳サービスがいきなり(数)周回遅れとなった。

これが、ChatGPTに偶然出会い、最初は遊びで、いつの間にか仕事のアシスタントして毎日使うようになってほぼ1年がたった私の実感だ

ポイントは、翻訳の精度ではないと思う。もちろん「機械」の精度を上げる努力は必要だろうけれども、「どちらの精度が高いのか?」という比較にはあまり意味がないような気がする。もっと大事なことは、ChatGPTによって「対話型」で翻訳を完成させることが可能になった、ということではないか。その結果、翻訳には最終的に人間が絡まないと完成しないことが明らかになったと僕は考える。D社とAI社の「翻訳能力」自体はすでに高いのだろう。だから対話型の運用さえできれば、精度の差は人間が埋めていけると思う。

機械翻訳って、なるべく翻訳を「自動化する」、つまりなるべく人手をかけずに翻訳を実現させるためのソフトでありサービスであったし今もそうなのかもしれない。しかし実は対話型のサービスが始まったことで、ソース言語で書かれた原文をなるべく正確にターゲット言語の自然な文章で表現し原著者の意図を再現するには、かえって人間の果たす役割が大きくなったような気さえするのである。

もっとも、翻訳が最終的に人間に読まれる以上、(原著者の意図、表現ともに)「100%完璧な自動翻訳」はあり得ない。ChatGPTは「完璧ではないがそれに近い翻訳」を実現するための、いわば「ラストワンマイル」に到達するまでの超強力な助っ人(「てこ」または「はしご」)になった。しかしその「ラストワンマイル」を走る(英日であれば当然最後の訳文を書く。日英であれば、英語への翻訳を”機械”に任せて、最後の英文の「選択」をする)という役割は、実は人間が負うということだ。つまり、AI翻訳の登場によって、皮肉なことに、成果物の質は翻訳者(人間)の語学力に依存していることが明らかになってきたのだと思う。

ChatGPTを使ううちに気がついたもう一つの現象は、「機械翻訳」をめぐるこれまでの議論の大半が一気に陳腐化したということだ。多くの研究者や翻訳者が今なおD社の翻訳サービスを前提として「使える」「まだ使えない」を検討し、教育にどう生かすかを議論しているように見えるのだが、ChatGPTを毎日使っている身からすると、すこし古い印象を受ける。ただ、それは仕方がない側面もある。研究者や書籍の著者、たまたまChatGPTをまだ使っていない翻訳者が悪いのではない。技術の進化スピードが速すぎるからだ。

だから、そういう「議論の陳腐化」が起きているからと言って、一足飛びに「そういう議論が無駄になった」わけではない。なぜ陳腐化したのか、なぜ従来のソフトが数周回遅れになったのかの理由を探ることは翻訳や英語教育のあり方を考える上で重要だと僕は考える。研究者の皆さん、頑張ってください。

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