金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

翻訳業界の「やりがい搾取」

(1)日本経済新聞の特集「『やりがい搾取』を許さない」
2023年2月20日(月)~24日(金)まで、日本経済新聞の最終面で、「『やりがい搾取』を許さない」という5回の特集が組まれた。概要は以下の通り。

 ①文化芸術「やりがい搾取」続く 性被害告発、対策進まず
 ②創作の現場、パワハラ被害者9割の衝撃 勉強会の動き
 ③展覧会、アーティストの実質報酬ゼロ? 最低基準策定も
 ④舞台スタッフ、事故やケガ隣り合わせ 契約書の締結必要
 ⑤文化予算削減のしわ寄せ 芸術家守る法整備
まとめ読みはこちら(有料記事です)
パワハラ・セクハラ・低報酬 文化芸術は変われるか
「やりがい搾取」を許さない まとめ読み

www.nikkei.com

一連の記事を読みながら、翻訳業界には、産業翻訳、出版翻訳のどちらにも「やりがい搾取」があるなあ、と確信した。僕たちの業界で働く人たち(つまり翻訳者)には英語をはじめとする外国語や外国文化や翻訳が「好きで」この仕事に就いた人が多い。ところが、

(以下引用)
「好き」な仕事だけに不当な条件でも我慢して働く「やりがい搾取」が生まれやすい。金銭に拘泥しない姿勢を美徳とする風潮もあり、報酬交渉ははばかられる。立場の弱い若手やフリーランスならなおさらで、報酬は低水準にとどまってきた。
(引用ここまで)
(「展覧会、アーティストの実質報酬ゼロ? 最低基準策定も
「やりがい搾取」を許さない(3)」2023年2月23日付日本経済新聞

「好きなこと」だからこそ、どこか理不尽だなと思っても「これは修行」「これも勉強」と無理して前向きにとらえ、不満や不平を心の底に押し込んで、あるいは口に出せずに泣き寝入りをする。発注する側(翻訳会社や出版社)も彼らの(というより僕たちの)そういうメンタリティーを利用して「ご無理なら他の方にチャンスを与える」という姿勢を示し実際にそうする。特にフリーランス翻訳者は立場が弱いのでそういう目に遭うことが多いと僕は思っている。

(2)産業翻訳の「やりがい搾取」
産業翻訳における「やりがい搾取」は、いうまでもなくその超安い単価だろう。

英和’(英語から日本語)翻訳の原文ベースで「1ワードあたり10円」が高いか安いか。

産業翻訳に携わっておられない方のために申し上げておくと、これは1時間当たり500ワードのベースで訳して時給5,000円となる単価だ。専門にもよるだろうが、これはかなり速い翻訳スピードである。通常の調べ物をしながら翻訳し、2度3度と見直して仕上げると、1時間あたり200~300ワードが関の山だろう。つまり「1ワード10円」は超安いのだ。僕は過去20年でこの単価で受けたことは1社しかない。それも確か初めて契約してもらった翻訳会社だったと思う。まもなくその単価の「安さ」に気づいたが、せっかく契約してもらったのに悪いと思いなかなか言い出せず、結局縁を切るまで3年ぐらいかかった。

その後は翻訳会社ではなくソースクライアント中心に営業をし、幸い何社かがお客様になってくれた。単価は当初の翻訳会社の2~3倍で、こうした顧客を複数持てたからこそ20年も続けられたのだと思っている。その間、業界のディレクトリー経由でオファーされた翻訳会社の単価が7円とか8円という話を何度も目にした。「まさか」と思ったが、キャリアを積むにつれ、そういう単価を「泣く泣く」飲んで仕事をしている同業者に何人にも会った。その翻訳会社がいくらで受注しているのか知らないが、「翻訳者になりたい!」という気持ちを逆手にとって1ワードあたり一桁で発注している翻訳会社はかなりあるというのが僕の実感だ。これを「やりがい搾取」と言わずしてなんと言おう?

ただし、産業翻訳における翻訳者の待遇はこれからよくなる可能性は少ないと思う。それは機械翻訳の急速な発達だ。

先日知人から教えてもらって「チャットボッド」の翻訳を試してみたが、人が少し手を入れれば完成できるレベルだと思った。しかも言語的な機械翻訳のロジックに加えて検索した結果も反映されており、時に「訳注」になるような情報まで提供してくれる。これはすごいと驚愕した。客観的に言って、産業翻訳の世界で人が食べていけるとしたら、ポストエディット、つまり機械翻訳の訳したものをお客様の要望に沿って整えていくぐらいではないか?という気がして仕方がない(現段階では明るい展望は描けない)。

僕がなぜ産業翻訳で20年も食えたかって?そりゃあんた、時代のせいだ。機械翻訳がなかったからです。

(3)出版翻訳の「やりがい搾取」
①リーディング
一方、出版翻訳における典型的な「やりがい搾取」は「リーディング」だろう。出版社の側から言うと、200~300ページの原著を渡し、「出版が決まったらあなたが翻訳者」という釣り言葉で翻訳者にレポートを書かせる。内容は著者の紹介、本の要約と感想、そして日本語で出版する意味はあるのかについての見解だ。それを基に出版社は出版するかどうかの判断をする。

これを翻訳者の立場からすると、少なくとも2回は通読してレポートにまとめると、どんなに短くても10時間。「これはいい本だ」と思うと力が入って30~40時かかったこともある。謝礼は1万5000円~2万円だ。「仕事」として考えたら全く割に合わないので「勉強」と考えることにし、「空いた」時間に取り組む。「ふざけんな!」と思っても断れない構図がここにはある。

②下訳
出版業界にかつては確かにあったもう一つの「やりがい搾取」は下訳だ。

知名度のある翻訳者の翻訳を「修行」という名の下に固定翻訳料で若手翻訳者にやらせるのである。しかも、将来その本がどんなに売れても下訳者の収入は増えない。頼む方(押し付ける方)は省力化になるし、売れたら印税ががっぽり入る。一方、頼まれる方(押し付けられる方)は、うまくすれば師匠を通して出版翻訳の機会を与えられるかもしれないと安い報酬を臥薪嘗胆の気持ちで飲み込む。この「修行」で師匠を恨みに恨んだという著名翻訳者のエッセーを読んだことがあるので、事実なのだろう。というか昔は常識だったらしい。

今はお亡くなりになったある著名翻訳者の方が、誰かに訳してもらう時には必ず「共訳」として名前を出し、翻訳したページ数に応じてきっちりと印税を分けていたという話をある編集者の方から直接伺ったことがある。僕はこれをずっと「美談」と受け取ってきたし、僕にそれを話された方もその方の立派な人格を証明する事実として話してくれた。その著名翻訳者の方に直接お会いしたことがあり、確かに人間的にも尊敬できる素晴らしい方だった。だがこれをビジネスとして考えれば、業務負荷に応じてフィーを公平に分けるというのは当たり前の話のはずである(もちろん、翻訳者のネームバリューに応じて印税率が異なるのは当然と思う)。ビジネスとして当たり前のことをしたことを美談として受け取ってしまったほかならぬ僕自身が「やりがい搾取」を受け入れていたことになるのかもしれないと最近は思うようになった(もちろん、下訳は修行なのだから、固定の低収入が当たり前という風潮の中で「当たり前」を貫いたその方が立派であったことは間違いない)。

ちなみに僕はこの下訳をしたことがない。僕の知り合い翻訳者にもいない。今はどうなっているかは知らない。こんな搾取はもう「ない」と信じたい。

(ご参考)

tbest.hatenablog.com

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