金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「書き起こし原稿」と「翻訳」の違い(2022年5月)

その月のテーマを漠然と決めて材料を集めているうちに一つに絞れてくる。結論(というか仮説というか)らしき物がぼんやり見えたものをその月のテーマにする。
そこからまずは書き始め、書いているうちに構想(というか結末までの流れ)が明確になっていき、さらに材料を集めていくと多くの場合視界が一気に開けて最後まで書き上げる(途中でバサッとテーマを変えることもある)ことができる。僕の場合、大体原稿用紙で8~10枚分の原稿になる。

ご縁をいただいてこれを毎月書いているうちにほぼ1年がたった。今月もつい先日提出したところ。その時に、いわゆる原稿をゼロ(構想)から書いて提出すると、翻訳原稿を納品するときとは全然違う感覚が残ることに気がついた。

原稿を出した瞬間に、自分の身体の少なくない一部がスコンと抜けた感じになる(お腹のなかにぽっかり穴が空く感じ)のだ。

「身を削って書く」みたいな表現あるじゃないですか。それってまさに書き起こし原稿に当てはまる。だからプロの作家とかエッセイストの皆さんは、身体に(というか頭に)どんどん何かを入れ続けないと、どんどん身が細くなっていくのではないかしらと思ってもみたり。

翻訳でそういう感じに襲われることはない。たとえば長い本を訳し終わると、達成感や学んだ感を覚える。「自分の一部がなくなった」感じはない。いやむしろ翻訳が終わった瞬間に感じるのは逆で、「自分は英語あるいは翻訳が上達した」感、言い換えれば「知的に太った感」だ(そしてその多くは残念ながら「幻想」である)。

実に不思議な感覚だ。