金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「物を考えるとは、物を掴んだら離さぬということだ」(小林秀雄):7月14日に出会った言葉

(1)2020年7月14日 
人間や制度のウソが誰の目にも明々白々となりながら、そのことに責任を持つ人たちが、自分のことは知らん顔で説教をする。こうしたことこそ道徳的退廃の最たるものだろう。(「エジプト文字」1974年6月26日)
(『深代淳郎の天声人語』(朝日出版社)p138)
*引用文が書かれたのは、今からちょうど46年前。「何も変わってないな」とため息をついた。

(2)2019年7月14日 
一般に、理系の学生には基本的な原理の複雑な対象に対する応用力が要求されるのに対し、文系の学生には先行する多数のテキストの精密で深い読解力が要求される。
吉見俊哉著『平成時代』p64。 岩波新書
*本日の言葉:現在、いわゆる「理系対文系」の融合、というかSMEM(Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の頭文字を取った)教育とリベラルアーツ教育の融合をテーマにした書籍を訳しており(というか、現在第2稿をチェック中)、本書の直接的なテーマには結びつかないけれどもこの1文に惹かれてしまいました。
そういえば、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の著者、新井紀子先生の経歴を見ていたら僕より2年下で一橋大学法学部卒業とある。『ティール組織』の受賞式で隣に座っていたんだから、分かっていればそのことを材料に(「ゼミどちらだったんですか?」とかとか)ミーハー的なお話ぐらいはできたはずなのに!と悔やんでも遅い。

(3)2017年7月14日 
既出の森鴎外訳(1913年)が、口語に近い文体を選択し、かつ、原文における会話場面という要素を「聞こうとした」翻訳であり、谷崎精一訳(1962年)が原文の言葉に「目をこらした」翻訳なのだとすれば、柴田元幸訳(2013年)は、当該箇所が会話の一部であることを最大限に重視した、「耳をすませた」文章になっている。喩えて言うならば、翻訳者が小説中の会話の場に居合わせ、それを書き取っているような姿勢である。
(中略)
(この柴田訳は)村上春樹・・・と響き合うものでもある。翻訳者は外国語の語りの言葉をそのまま受け入れて日本語に訳すのではなく、語りが「言いたいこと」を汲み取り、それを等身大の言葉で再現するべきだ、とする翻訳観が、そこからは見て取れる。逐語訳がもたらす「構えた」ような翻訳文体から、列車で隣にいる人が話しかけてくるような翻訳スタイルへの移行は、こうしてポーという頻出作家の歴代解答例にも現れているのだと言える。
『文芸翻訳入門 言葉を紡ぎ直す人たち、世界を紡ぎ直す言葉たち』藤井光編(フィルムアート社)、p36)

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(4)2015年7月14日 
「物を考えるとは、物を掴んだら離さぬということだ」

小林秀雄『考えるヒント』)

(5)2014年7月14日
 彼(菊池寛)は、鴎外と漱石とを比べて、自分などはむしろ鴎外を重んずるものだが、鴎外には『坊ちゃん』がない。そして鴎外の『高瀬川』くらいではなかなか後世には伝わりにくいと言う。鏡花と紅葉とを比べて、天分の上からも作品の上からも、弟子は師をを凌いでいるが、『高野聖』や『湯島詣』ぐらいでは後世に伝わらないのではないか。『金色夜叉』は、まだ50年や100年は残りそうだ、と言っている。
これは味わうべき言葉だと思います。
いくら文名が高くても、また多くの作品を書いていても、代表作がない人は、けっきょく忘れられてしまう。
つまり、その作家の名と同時に、作家の印象はうすいというわけです。(引用終わり)
(『松本清張の世界』文藝春秋編 (p556-557))