金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

通訳者は、小説を映画化する映画監督のようなものである:2018年~2020年の今日(3月12日)に出会った言葉

(1)2020年3月12日
人間の生理的なもの、日常において皮膚が感じるものをとても大事にして、例えば飲む、食べる、挨拶するという当たり前のことで“人間”を表現する―それを森繁さんで見てしまったものだから、その面白さに目覚めてしまった。
(『希林さんといっしょに』是枝裕和著(スイッチ・パブリッシング)p22)

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(2)2019年3月12日
執筆当時、すでに20年近く欧州連合で通訳をしていたローデリック・ジョーンズは、自身が著したConference Interpreting Explained(邦題は『会議通訳』、松柏社)で、
「考えを正確に表すということは、必ずしも話者の言葉そのものや語順を複製することではない。話者に忠実であるために、言葉や語順に背かなければならないという矛盾を(私は)むしろ正当化したいのである。どちらかといえば、通訳者は、小説を映画化する映画監督のようなものである……そのため、小説家を『裏切る』ことになる」と書いています(『通訳者のここだけの話』関根マイク著、p62)

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*今日の引用文。「通訳」を「翻訳」と読み替えればそのまま当てはまる。「何も足さない、何も引かない」よりも長いが誠実だと思います。

出典の『会議通訳』。たしか大学2年の時に、今も付き合いがある親友K君と「勉強しようぜ!」と勢い込んで購入した本だったはず・・・そう思ってアマゾンで調べると本書の出版は2006年とある。おかしいなあ、本ないなあ、と考えているうちに『会議英語』(大杉邦三著、大修館)だったことを思い出しました。ただ、今アマゾンに出ているのは出版が1984年だ。僕らが卒業したのは1984年だから、これも合わない・・・とよく見たら、これは「携帯版」でした。僕らが買ったのはハードカバーなので、時期的にも合うので一安心。でもこの本、結局買っただけに終わって、本棚に眠らせてしまったのでした(恥)。

(3)2018年3月12日
To be, or not to be; that is the question.
「アリマス、アリマセン、ソレハナンデスカ。」(明治初期、ハムレット最初の翻訳)
はもちろん誤訳だが、「アル」という訳語で、beの理解は正しいことがわかる。
「在る、在らぬ、それが疑問だ」は原文に即した訳。
「このままでいいのか、いけないのか。それが問題だ」はbeの理解を一歩進めた訳。
「生か、死か、それが疑問だ」はbeの解釈をはっきり出した訳。
いずれも翻訳に許される幅を示す格好の例である。
(『翻訳力錬成テキストブック』柴田耕太郎著p196より)

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