金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「翻訳ソフトには苦手なことがいくつかある」:出会った言葉:本日と3年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(229)

(1)今日
翻訳ソフトには苦手なことがいくつかある。たとえば時間がたつにつれて言葉の意味はかわっていくのにそれを文脈から読み取れないことである。
多和田葉子「白鶴亮翅(はっかくりょうし)」2022年2月25日付朝日新聞
*先週の新聞連載小説から。気になったので切り取って机の上に置いておいたもの。この小説、まだストーリーが動いている感じがしないが、今度どうなるだろう。「言葉の意味を文脈から読み取る力」には鍛えれば人には可能だが、機械には無理という趣旨だと思う。別の言い方をすれば「違和感をくみ取る能力」なのかも。翻訳者(読み手)がある言葉を文章の中に見たとき、それに違和感をくみ取る能力はその人の読書体験や生活体験に大きく依存している。そこを読み取って必要があれば調べ、その時の社会に受け入れられる言葉に変換していく能力は今の翻訳ソフトにはまだないのかもしれない。

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(2)3年前の今日
「曖昧の<が>を排除せよ」という注意は、正しい。ただし、これは正論である。正論の常として、息がつまる。一度、「曖昧の<が>」をまった使わずに本を一冊書いたことがあるが、息がつまった。「死ぬまでに一度たっぷりつゆをつけてそばを食いてえ」という気持ちがよくわかった。……
私が初めて「曖昧の<が>を使うな」という注意に接したのは、清水幾多郎の『論文の書き方』である。しかし、いまこの本を読み直してみると、「曖昧の<が>」が何度も出てくる。「私が言うとおりにせよ」と注意するのは簡単だが、「私がするとおりにせよ」と示すのは至難の業だ
野口悠紀雄著『超文章法』p210)

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