(1)2020年8月3日
① 品格とは、「どことなく感じられる性質のよしあしの程度」
(別宮貞徳著『裏返し文章講座』(ちくま学芸文庫)p17)
② 品が良いとは何か。それは怯えである(立川志らく「芸人論」2017年3月3日付日本経済新聞)
別宮さんの本を読んでいたら出てきた「品格」。どこかで見たなと思っていたら、相方のスクラップしてある新聞記事の切り抜きから出てきました。ちなみに別宮さんは引用文の「品格」を抽象的だとしてもっと具体的な定義があるはずだと検討し、英語のdecent=conforming with generally accepted standards; appropriate, fittingが一番ピタリと来るとして、「品格のある日本語」を「しかるべきことばがしかるべき場所でしかるべき用法に従って使われている日本語」と定義し、これを基準に世の中の悪訳を検討していくと述べています。
一方志らくさんは引用文の次にこう続く。「自分は間違っているのではないか、もしかしたら下手なのでは、客に見捨てられるのでは、等その怯えは芸人ならば必ず持っている」。
僕には別宮さんでは冒頭の「曖昧な」定義の方が、そして志らくさんの定義の方がもっとしっくり来ました。
(2)2019年8月3日
僕が翻訳するときはまず、英語から日本語に翻訳し、それを何度かチェックして、合っているかどうか確かめて、ある段階で英語を隠して、日本語を自分の文章だと思って直していくんです。 村上春樹さん
(『本当の翻訳の話をしよう』p257 村上春樹/柴田元幸著 スイッチ・パブリッシング)
今日の言葉を読んで思ったのは、「あれ、文芸翻訳っぽくないなあ」という驚きだった。文芸翻訳では、『著者の呼吸』をなるべく残せ、という指導をされることが多い。柴田先生の『翻訳教室』でもその点が何度か指摘されていると記憶する。「できれば語順も」、と。「原文が過去だったら日本語でも過去」とか。「話法を合わせよ」とかとか。でも村上さんがおっしゃっていることは、そのアプローチとは違う。
原文を理解したら自分の呼吸に直すとおっしゃっている。
実は柴田さんも村上さんの発言に続いて、「・・・それで、最後の最後は、また原文を忘れて日本語を練る」(同書p258)とおっしゃっている。
これって村井章子さんと同じ、ノンフィクションのスタイルなんだ!と思いました。村井さんは3年ほど前のセミナーで『私の翻訳スタイルは、原文を読んで理解したら、それをなるべくわかりやすい日本語で書くこと』とおっしゃっていた。翻訳に正解はないだろうけれど、この村上さんの言葉にはちょっと驚いた。
もっとも、そういう発言は村上さんや柴田さんのような達人だからこそ言えるんであって、お前みたいな修行者は黙ってろと言われたらぐうの音も出ないわけですが。
(3)2018年8月3日
六十年間生きてきて、知り得た真理が一つだけある。
それは「此の世は積み重ねである」ということだ。(全国紙サントリー広告より)
(『山口瞳 江分利満氏、ふたたび読本』KAWADE夢ムック(河出書房新社)P7より)
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(4)2017年8月3日
色んな男と別れてきたけれど やっぱり福沢諭吉との別れが 一番辛いわ。
(2017年7月28日 哀姫 @koi_ai_himeさんのツイートより)