(1)昨年の今日
三浦光雄は、カメラの横からヒョイと私をのぞいて、ニコニコして言った。
「どこへでもご自由にどうぞ。追いかけて写すのが私の仕事ですから」
(高峰秀子著『わたしの渡世日記(下)』p138)
*引用文は、芝居の勢いでライトの外にまでかけずり回る芝居をしなくてはならなくなり、カメラマンに「どこまで行けますか?」」と尋ねた時の返事。「なんたる性根の座った言葉だろう、と衝撃を受けた時の経験を語ったもの。「どんな言葉でもご自由にどうぞ。訳すのが私の仕事ですから」とニコニコして言えるようになりたいものです。
(2)3年前の今日
職業がどんどん細分化されてゆく中、大卒の若者が「何か生活の手づるはないかと朝から晩まで捜して歩く姿は「不経済だ」……昨今は「知識や興味の面積が日に日に狭められ」て、個人が孤立し、ひどく無能になりつつあると。講演「道楽と職業」から 夏目漱石
(折々のことば 2018年10月27日付朝日新聞)
(3)4年前の今日
ドラマ「この声をきみに」第6回を見た。やはり竹野内豊の読み方がいい。人に聞かせる読みではなく、自らの内面に向けて、ことばの意味を確認していく読み方だ。その結果が人のこころを打つのだ。ただし、語句の係り受けについて逆イントネーションが気になる。文の意味を殺してしまうところが残念だ。