(以下引用)
当節、テレビ・タレントに異常な人気が集まり、そのゴシップが細大もらさず売り物にされるのは、なぜか。おそらく人々はその孤独に耐えかねて、だれでもいい、だれかと知り合いたいと望んでいる。タレントとの疑似交友でさびしさを紛らわしているのである。(1974年8月13日)
(「文明と孤独」深代淳郎『最後の深代淳郎の天声人語』p67)
*引用文が書かれたのは今からほぼ47年前だ。コラムのタイトルは「文明と孤独」。「文明」の代表選手としてやり玉に挙がっているのが自動販売機だ。深代さんは「いままで人間同士が顔つきあわせて物を受け渡ししていた場所に、いまではコインを飲み込む機械だけが鎮座ましましている。……人と人の出会う機会が日増しに少なくなるのは、やはりさびしいこと」と嘆く。今や顔を知らない物同士がSNSで知り合い、クリック一つで物が届く時代。深代さんが今の時代に現れたら恐らくぶっ飛んでしまうと思うけれども、それは時代の違い。
むしろこの文章を読み、今を顧みて思ったのは、多くの人々はどんな時代になっても、寂しさを紛らわすために他人と触れ合う機会を求めてるのだなあ、ということ。同時に、これも昔からいたはずの、他人と触れ合いたくない少なからぬ人々の場はかえって広がっていて、それ自体は悪いことではないのかも、とも。つまりこの記事は次のように書き換えられるのだ。
「当節、SNSに異常な人気が集まり、個人のゴシップが細大もらさず売り物にされるのは、なぜか。おそらく人々はその孤独に耐えかねて、だれでもいい、だれかと知り合いたいと望んでいる。お友だちとの疑似交友でさびしさを紛らわしているのである」