金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「自分の中にある無慈悲や冷酷さから目を逸らすために、はるか遠方にいる人たちに情けをかけるのはやめた方がいい」:2018年~2020年の今日に出会った言葉

(1)2020年2月10日
人生の後半期になって一つの境地に到達した人が、抽象的に総括を語る文章を、若い時代に読んで有益であることはいうまでもない。
しかし半面では、そのために自分の周囲にある事物や人間に対する観察や知識をなおざりにしがちなマイナス面もある。
(『深代淳郎の天声人語』p129 深代淳郎著、朝日新聞社
*本日の言葉:「人生の後半期になって一つの境地に到達した人」を「ベテラン翻訳者」、「若い時代」→「初心者の時代」に読み替えて読んだ。講習会やらセミナーばやりで、ちょっと目新しいものがあるとつい申し込んでしまう心理もわからないではないが、学びは結局自分で消化する努力をしないと身につかない点は忘れないでおきたい。
それと、僕は偉い「先生」から、整理され切った神のお告げのようなご宣託を「生徒」が拝聴するような授業よりも、現場に立って自らも苦しんでいる人が絞り出す叫びを参加者と共有するような講義が好きだ。個人的な好みの話ではありますが。

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(2)2019年の2月10日
数学者のピーター・フランクル氏は、いまでも大道芸を続けているそうだ。なぜか?無名時代、大道芸で観客の笑いを誘うために、大変な苦労をした。面白くなければ、観客は帰ってしまう。いまでは、講演会に行くと主催者が迎えに来る。舞台に上がれば大きな拍手が起こる。「では、僕は賢くなったのか?」と彼は自問する。「とんでもない。老けただけのことだ」。……

全く同感だ。というより、諫められた。私自身も、老けただけなのに、「偉くなった」と勘違いしたことはなかったか?大道芸人になったつもりで文章を書いているか?他人を批判する前に、自分自身を見直さなければならぬと気がついた。
((野口悠紀雄著『「超」文章法』p47)

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(3)2018年の2月10日
自分の中にある無慈悲や冷酷さから目を逸らすために、はるか遠方にいる人たちに情けをかけるのはやめた方がいい。
(2018年2月10日付朝日新聞「折々のことば」より)