(1)2020年9月27日
多様性とは、肌の色、宗教、性の違いに配慮しろ、ということではありません。むしろ同じ肌の色なら同じ考え方をするはずだ、という考え方こそ危険です。本質的に一人1人が異なる価値観を持って生きることが許される企業(社会)にすることが多様性です。
(「優しい経済学 不易流行の経済学③」大阪大学准教授 中川功一2020年8月21日付日本経済新聞)
*引用文の趣旨には賛成するが、前半は誤解を招きそうな表現だと思った。社会的に長く無視され、貶められる傾向の高い層があって、そういう人(たち)に配慮する必要はあると思うからだ。後段の企業(社会)を実現するために、「肌の色、宗教、性の違いに配慮しろ」ということではないかと思う。
(2)2019年9月27日
志村(けん)さんがスポーツ紙のインタビューで、もしこの仕事をしていなかったらという質問に、「そんな根性でやってません」って。驚きましたね。言えます?僕なら、やっぱり好きだから、映画関係の仕事かなとか言ってしまいますよね
(「語るー人生の贈り物―志村さんと、あうんの呼吸で」俳優 柄本明 2019年9月27日付朝日新聞)
*志村さんの言葉には痺れたんだけど、2002年に独立した時には僕にそれだけの根性はあったのだろうか?2003年以降、「これで食って行けそうだな」と思った以降は志村さん的なマインドで頑張っていたとは思いますが・・・
ただ志村さんの言葉には悲壮感があるけど、僕にはそんなものはなかった(ただし家族は悲壮感が漂っていると言っていました)。楽しくて食えりゃいいじゃんという乗りでした。とは言えこの点は、柄本さんもそれは同じではないかな。謙遜しているだけで・・・などなど色々なことを考えさせられた短い一節。いずれにせよ深い言葉と観察だと思った。
(3)2018年9月27日
思うに、文章力・国語力のエッセンスとは、文脈のリズムに沿って、適切な言葉を選び取るセンスではないだろうか。つまり言葉を探し、削ること。短歌や俳句を作ることに似ているかもしれない。
(「福岡伸一の動的平衡」2018年9月27日付朝日新聞より)
(4)2017年9月27日
端的に言えば、都合の悪い話は聞かなかったことにするという無頓着な国民性でしょうか。ちょうど2年前、あれだけの大騒動をへて成立させた安全保障関連法ですが、南スーダンの自衛隊日報破棄問題によってずさんな運用の実態が明らかになりました。対北朝鮮という大きな問題が深刻化するであろうなか、不安しか残っていません。森友・加計問題にしてもなんの結論も見ないまま、追及を打ち切るかのように国会再開冒頭での解散総選挙の流れです。
もっとも、いまさら政治家のウソや二枚舌を非難するのもナンセンスかもしれません。彼らが放置したり隠蔽したりするのは「自分にとっての都合の悪い問題」であって「国民にとって都合の悪い問題」ではないことは往々にしてあります。政治家の責任を追及するのは簡単ですが、民主主義国家である以上、本質的にすべての責任は選んだ国民が背負わねばなりません。深刻な問題ほど無頓着に接し、自分には無関係だと放置してしまう。この国民の本性が先の大戦で大きな悲劇を招いたことを、私たちは心に深く刻んでいるはずです。
(日本という「裸の王様」 丹羽宇一郎 伊藤忠前会長、2017年9月27日付日本経済新聞)
(5)2016年9月27日
貧乏暮らしが長かったけど、飯は本の次っていうのは正しかったと思う。でも本より優先しているものがあったって最近気がつきました。僕は家に花を絶やしたことがなかったんだ。
(「花、本、飯が優先順位」浅田次郎、2017年9月27日付朝日新聞3「人生の贈り物」より)