僕が編集者なら次の本の企画を考える。
『「先進国」という名の幻想―30年間の"バブル”を高度成長と誤解してしまった国の悲劇』
テーマはもちろん「日本」だ。
決して自虐的にそう言っているのではない。
さまざまな観点(国民一人当たりGDP、国民所得、政府債務、貧今度、多様性等々)から、客観的な日本の「今」をまず把握する。どうしてここまでの道程を歩んできたのかを冷静に分析する。そして我が国はすでに「後進国」であることを認めた上でここから進むべき道筋を決め、実行していく。そこまでの発想の転換が必要なのだ。
それには少なからぬ国民が戦争の悲惨さを忘れず、そして多くの国民が過去の栄光を引きずらずにまったく新しい発想で謙虚に物事を考える必要があるのではないだろうか。
そのためにはまず、戦争の悲惨さも親たちの生活苦も知らず、楽して美味しい思いだけして周囲からおだてられ「21世紀は日本の時代だと」脳天気にも調子に乗ってしまい、凋落が始まってもいつか元に戻ると根拠のない楽観主義に陥り、いつまで経っても過去の栄光を忘れられない1940年代前半~1960年代前半の「ド勘違い」世代(年齢にすると50代後半~70代後半)が現場からさっさと退場することがベストかもしれない。
残念ながら、そこには僕も含まれるが。