柴田元幸著『翻訳教室』(新書館)を読んでいて実感するのは、柴田先生が教室にいる学生たちと対等の立場で意見の交換をしている様子がわかること。これはなかなかできるようでできないのではないか。
授業とか講義って「何でも知っている講師が何も知らない受講生に教えてあげる」というパターンが多いような気がする。「これって何だかご存知ですか?」という問いを講師が発し、受講生がどぎまぎし、自分に指されないようにと目をそらす・・・「正解は・・・〇〇です」(ノートする受講生)。というのが圧倒的多数の「教室」で見られる光景ではないか。
あれって、単に講師が受講生に対して心理的に優位になる以外の何の教育的効果があるんだろう?
もちろん例外はある。
「これって何だと(なぜだと)思いますか?」。シーンとする教室。「Aさん、どうですか?」「Bさんどうですか?」・・・・という反応を受けて「実は、私もわからないんですが・・・こうではないかと思うのです。なぜなら・・・」で始まる授業は面白い。
柴田先生の授業はまさにこっちだなあ。
自分が久しぶりに(2年ぶりぐらいかな)講師をすることになったせいもあるかも知れないけど、今朝『翻訳教室』を読んでいてそう思った。