金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

翻訳ストレッチ用音読(日本語)教材について(2021年7月)

先ほど本棚にある「翻訳ストレッチ」用音読教材を数えたら28冊あった。元々は読みたいと思っていた本を順番に読んでいるといつまでたっても読めない(積ん読になってしまう)ので本棚に加えてきた結果だ(これ以外に寝床で読む本が3~5冊ぐらいある)。

毎日2~3冊、5分単位で読んでいる。すべてを同時並行というわけではなく、うち2冊(現在で言えば『大学入試システム現代文』と『「接続詞」の技術』)は1日置きだ。残りは毎日順繰りに2冊ずつ。本の厚さにもよるが、1冊を読み終わるのに薄いもの(新書)で半年。2年~3年かかることもある。『心の傷を癒やすということ』は昨年の1月からなのでもう1年半になる(いよいよあと数ページになりました)。

こういう読み方だと一気に読まないので全体像がつかみにくいという欠点はあると思う。ただ最近『心の傷を癒やすということ』を読んでいる時に気がついた。平均すると2週間に一度、5分しかかけずに読みつないでいるこの本を「前回の続き」から音読し始めると、前回の感動が蘇ってくるのだ。つまり僕はこの本を(途切れ途切れなのだけれど)ズーッと読み続けている感覚に浸れるのである。同じ感動は、是枝監督の本やカズオ・イシグロの特集本にも言える。

もう一点気がついたことがある。

それは、通読してしまうとおそらく読み飛ばしてしまう価値を拾っている可能性だ。たとえて言うと、翻訳ストレッチにおける僕の日本語テキストの音読は、ゆっくりとした「歩み」に似ている。何しろ時たま読むので忘れていて読み返したり、面白い表現があると書き写したりしている(←これは音読によるストレッチで狙っていることではあるのだが)。すると走ったり自動車や列車、あるいは新幹線でサーッと通り過ぎるのとは違う学びがあるのではないなという気がするのである。

元々始めた時にはこういう経験を期待していたわけではない。自分がよいと思った本、文章のお手本にしたいと思った本を少しずつでも、1回あたり5分だけでも音読して行ければよいと始めた習慣なのだが、意外といいものかも。と強く感じるようになった。

もっとも、そうでない本もあって、たとえば『アダム・スミス』(岩波新書)などはまとめて読んでしまった方がよいかもしれない。少し整理してみようかなと思ってみたりもする。

なお下の写真は本棚の調度横一段分になる。「音読は一段のみ」と決めているので、他に取り入れたい本があった場合は、すき間ができるまで、つまり何かの本が読み終わるまで待つことにしている。気長な取り組みである。

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翻訳ストレッチ用音読教材一覧(2021年7月11日現在)