実務翻訳に忙殺され、その合間に書籍が出てという大きな波が一応収束したのだが、僕の心にはここ2ヶ月ずっと引っかかっている事があった。
訳書2冊に手が着いていないということである。
「2冊」と言っても1冊は今年1月に校了し、出版社の事情で延び延びになっていたもので私の作業が多少遅れても心の痛痒はあまり感じない。
実はもう1冊は私の持ち込み原稿(これまでの経緯はここに書いてきました)に出版社(というか最初に対応してくれた編集者のSさん)が誠実に対応してくれ、8月にゴーサインが出た案件で、こっちが精神的にはキツイのだ。
もちろん今回の本のことがあったので先方を訪ねた時には「8月いっぱいまでは無理」と話してあった。校了は8月末だし、その後は編集者の方とのやり取りはあるしゲラ修正もあるけれども負荷は相当減るはずだ・・・そう思っていたのだが。
8月に入って金融本の方に予想外の事態が発生して9月からは入稿とゲラ修正が同時に進むような大混乱状態に。それでも9月の打ち合わせの時には「10月から何とか始められそうです」と言っていたのが甘かった。
訳書と違って著書の場合、「どうにでも本の体裁や順番を変えられる」という自由度がある。しかしそれは逆に言うと本を良くするための努力に「際限がなくなる」ことを意味するのだ(何しろ自分が原著者なので)。
つまりできあがる直前まで中身を変え続ける羽目に陥ったのである。入稿とゲラ修正を繰り返しながら、「鈴木さん、これ以上はこの部分は変えられません」「目次はここまでで動きません」「小見出しはここまで」「このページはあと1行・・・・」この作業が訳書の比ではなかった。これは完全な誤算だった。本の性質もあるけれども、11月初旬の印刷屋さんに最終原稿を入れてもらった後も若干直していた。
さらに、取引先のソースクライアントの年末レポートが通常の倍のペースで、しかも前倒しで始まり、某社の和英の大プロジェクトが始まり、一方通常のレポートも予定通り来る・・・とまあこのFBでも「運動不足」とか「天気もわからない」とか書く事態に追い込まれてしまったわけです・・・つまり私の持ち込み企画は全然進んでいないのである。11月中旬ぐらいからまずいな~とは思っていながら、忙しいこともあったのだが、申し訳ないし、悪いナーという気持ちが募るほど書けなかったのだが、まあそうは言っても2ヶ月たったし、月の切れ目でもあるので思い切ってメールを書いた。
(以下引用)
「S様 お世話になっております。鈴木立哉です。
スミマセン、ちょっと(というかかなり)遅れています。まだ5000ワードにも達しておらず、何か原稿をお見せする段階になっておりません・・・(中略)・・・本当にスミマセン。」
正直に現状を書きお詫びしました。全くコネのない段階、同社のホームページの「お問い合わせ窓口」から「実は持ち込み企画がある・・・」とのメールを出したのが7月。それからずっと真摯に対応していただいた方なので嘘やごまかしは利かない腹を括ったわけです。
昨日の晩に返事が来た。
「お世話になっております。E出版のSです。
下記ご連絡有難うございました。ご著書を上梓されたとのこと、まことにおめでとうございます!・・・私も勉強のために早速買わせていただきました。進捗状況について承知しました。ご無理のないようおすすめくださいませ」
心の重しがすーっと取れた。
(後記)
上の記事で「8月にゴーサインが出た案件」が『ティール組織』
「8月に入って金融本の方に予想外の事態が発生して9月からは入稿とゲラ修正が同時に進むような大混乱状態に」なったのが『金融英語の基礎と応用』です(2023年12月2日記)。