9月に出る書籍の解説をお願いしたAさんから一昨日「解説」が届いた。その電文に
「訳文について、何か所か加筆修正を検討された方がいいのでは、という箇所があり、どこかで対面・オンラインでお話したい」
との一文があった。すぐがいいということになり、メールの翌日、つまり昨日の午後に某社会議室でAさん、編集担当のKさんと私が打ち合わせをすることになった。
現在は初校の直しが終わり、それが再び校正部に戻ってチェックしてもらっている最中。予定では今週金曜日に2校の校正部からの直しが来て、そこからおよそ10日で僕が見て修正する段取りだ。したがってもちろん、訳文に関するご指摘は大々大歓迎なのです。でもでも(経験者の方はよ~くお分かりだと思いますが)、出版前に訳文を専門家に見て頂くことの重要性は誰よりもわかっているつもりでも、当事者としては相当ビビるわけです。
何しろAさんは米国資本市場に関するプロ中のプロだ。言うまでもなく英語はペラペラ。普段は英語論文の方を多くお読みになっているのではないかな。
某大手証券では、必要に応じ特定の部署(調査部門やマーケティング部門など)が、日本の投資家の参考にと、英米で発行された様々な分野の専門書を選んで訳書を出すことがあった。複数の若手スタッフがチームを組み、業務の合間を縫って担当箇所を訳したり、あるいは私のような外部翻訳者がお手伝いをすることもあったのだが、何しろ1冊の本である。だれかがまとめなければならない。N社(グループ)においてその統括をやっていたのがAさんだったことを僕は知っている。
「大変なんすよ~。昼間は普通に会議してレポート書いて部下にあれこれ指示していますので時間がなかなか取れず、こういう翻訳チェックは夜になってしまうんです。でも僕は最初のページから最後まで全部チェックします。徹夜になってもやりきります。それが僕の責任ですから」。私が同社の訳書の一部を手伝わせて頂いた時(もちろん、ワード単価の翻訳料を頂戴しました)のこの会話をはっきり覚えている。かれこれ15年ほど前である。
そのAさんが「訳文について、何か所か加筆修正を検討された方がいいのでは、という箇所が・・・」。これはピシーっと背筋が伸びる一文である。「お父さん、かなり緊張しているでしょ」と朝から妻に言われた。
一昨日の晩はあまり眠れなかったんじゃないかな。
会議時間は午後2時30分から。1時50分には最寄り駅に着き、近くの喫茶店で20分ほど時間を潰して精神を落ち着かせ、2時15分に同社受付に、「2時半から編集部のKさんと打ち合わせ予定の鈴木です」「あ、お待ちしてました」「ちょっと早いので、そこのソファでお待ちしております・・・」と言いかけたら、「鈴木さん、どうもー!!!」あれ?ソファにAさんがすでにいる!!!
「ごめん、2時からだと勘違いして1時50分に着いちゃった」
さすがN証券だ。と思いつつ緊張度がいっきに高まりつつも雑談しているところにKさんが合流して会議室へ。「では始めましょう」
結局、小一時間ほどの会議でIさんから20数カ所疑問点が提示されたのだが、2箇所ほどはペンディングになったものの、それ以外は既に僕とKさん、そして「地味にスゴイ」校正部からのご指摘で対処済みであった。・・・「以上です。もうないです。大丈夫だと思いますよ~」。
鉛筆かボールペンでビッシリメモが書いてある初稿ゲラから顔を上げたAさんがニッコリ。
せっかくなのでと、現在の表紙や帯のデザインをKさんから見せてもらう。「お疲れ様でした~」とお帰りになるIさんを見送り会議室に戻ってKさんと二人。「良かった-------」と文字通り胸をなで下ろす。お酒があったら祝杯を上げていたかも。
初版部数も定価も決まり、ついでに印税も提示されて喜んで受諾。Kさんはまだまだここからが大変(特に索引)ですが、「こういう本こそ出したかった、そういう本ができあがります」と仰ってくださいました。
後は売れてくれることをひたすらひたすら祈るばかりである。