金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

イノベーションの訳語は「路線転換」「新基軸」の方がピッタリする:2018~2020年の今日(3月6日)に出会った言葉

(1)2020年3月6日
イノベーションの本質は「非連続性」にある。非連続性とは何か。それは「パフォーマンスの次元そのものが変化すること」。……平たく言えば「何が良いかが変わる」、これが非連続性であり、イノベーションの本質ということになる。
(楠木健著『室内生活 スローで過剰な読書論』pp172-173、晶文社

本日の言葉:私はinnovationの訳語として「イノベーション」を充てることが多いのですが、これを訳す時の背景的な知識になると思ってメモした。ちなみに楠木さんは引用箇所の直後に、イノベーションの意味合いを考えると、和訳語としては、『革新』よりも「路線転換」「新基軸」の方がピッタリすると仰っています。勉強になる。

(2)2019年3月6日
生き方を学んだとか、そんなことをちっともいってほしくないの。とにかく読み始めたら止まりませんでしたといわれたい。  大沢在昌
(「折々のことば」 2019年3月5日付朝日新聞

(3)2018年3月6日
吉川英治の『宮本武蔵』を))読み終わった時、若い時に読まなかったことを悔やんだ。そして、良い文学は時代時代を支配する歴史観を超越した面白さを持っていると知らなかった自分を、恥じた。
(岩井克人 半歩遅れの読書術「戦後民主主義少年」の後悔 ― 歴史観超える文学の面白さ 2018年3月3日付け日本経済新聞より)

一つの文書を複数の機械翻訳ソフトに英和翻訳させてみた(あくまでも個人的な感想です)

ちょっと関心があって同じ文書(新聞記事)を実験的に四つの機械翻訳に訳させている(英語の記事の日本語への翻訳:パラグラフ単位)。現段階で、いずれもお試し版をつかってでの個人的感想です(2023年3月2日時点)。

①チャットGPTは数字を間違えることがあるがおおむね正しく英文をつかんでいる。ただ、情報検索をしている割には、訳語を検討できるまでの新しさ(実用性)には欠けるとの印象。

②DeepLは訳文の日本語がとても自然。ただし訳抜けが多いという印象。おそらく訳文の自然さを優先させるつくりになっているんのだろうが、できあがりの日本語があまりに自然なために訳抜けや誤訳に気づかないリスクが高いと思う。

Google翻訳は英文解釈的で訳抜けはないが、文章の構造そのものの把握を間違える頻度が高いような気がする。

④四つの機械翻訳の中で相対的に最も高い翻訳力があるという印象を抱いたのは「みらい翻訳」ではないかな。かなり使えるという印象。

いずれも、今の機械翻訳は「ポスト・エディット」をする前提では使えると思う。ただし、使う側に成否を判断できる程度の英語力と日本語力が必要だと思った。ではどの程度の英語読解力(日本語表現力)か。それはやはり独力で翻訳できる程度、ということではないだろうか。

あまり英語力(および)日本語力のない人が機械翻訳された日本語を読むと、現段階のレベルでは日本語に引っ張られて誤読/誤訳する可能性がある。この意味で翻訳された日本語に誤訳が含まれる確率が最も高くなるのは②(DeepL)だと思う。

③(Google翻訳)は「明らかな間違い」をしてくれるのでかえってチェックに使えるとの印象を抱いた。

もう一つ思ったのは、機械翻訳は使い方次第では自分以外の目による翻訳者として機能し得る、という点である。それぞれの翻訳者(機械翻訳)の癖を把握しておけば、自分の英語の誤読を矯正できるツールにはなり得るということ。機械翻訳に明らかな間違いが見つかれば、それはその部分に関しては自分の解釈が正しかったことを確かめられるしね。

以上のことはすべての種類の文書に当てはめるのかどうかはわからない。ただし発注者の側からすれば、機械翻訳をうまく使えば翻訳スピードの向上とコスト削減には使えるはずだという印象である。これは裏を返せば、今の翻訳者は自分の役割と立ち位置をよくよく見直さないとお先真っ暗。それを見極めて機械翻訳の全く使えない分野に活路をもとめるか、機械翻訳をうまく使うことによって自分の付加価値を高められる可能性はあるなと思った。

「人間が何をなすべきか、何をなすべきでないかの線引きは、科学では用意できません」:2018~2021年の今日(3月1日)に出会った言葉

(1)2020年3月1日
(科学万能主義に対するオルタナティブ)の一つとしてあるのは「倫理」でしょう。人間が何をなすべきか、何をなすべきでないかの線引きは、科学では用意できません。 村上陽一郎
(山口周『ニュータイプ時代―新時代を生き抜く24の思考・行動様式』p165(ダイヤモンド社))
本日の言葉:引用文は同書第10章「ルールより自分の倫理観に従う」の冒頭。出所がでていなかったので村上陽一郎さん(科学史家・科学哲学者)の講演録でしょうか。その章の中で山口さんは「いつ後出しジャンケン的に改訂されるかわからない明文化されたルールよりも、自分の内側に確固として持っている『真・善・美』を判断する方が、よほど基準として間違いがありません」(同書p 172)と指摘し、結局そういう会社が勝つ、と(これビジネス書なんで)。今のようなある意味危機的な状況こそ、自分の「真・善・美」をしっかり持って判断したいもの。

ただし、いくら善意に基づいているからといって、事実確認もしないでフェイクニュースをばらまくのは慎みましょう。
3日ほど前にあるニュースを知り合いから受け取り、「これは大事なニュースだ、知らせないと!」と数人に知らせたところで僕のメッセージを受けた方の一人から「これフェイクです。拡散しちゃダメ!」と言われ、あわてて取り消しとお詫びに追われました。SNSに投稿しなくて本当によかった、と大反省したところです(大恥)。
よい1日を!

(2)2019年3月1日
「曖昧の<が>を排除せよ」という注意は、正しい。ただし、これは正論である。正論の常として、息がつまる。一度、「曖昧の<が>」をまった使わずに本を一冊書いたことがあるが、息がつまった。「死ぬまでに一度たっぷりつゆをつけてそばを食いてえ」という気持ちがよくわかった。……

私が初めて「曖昧の<が>を使うな」という注意に接したのは、清水幾多郎の『論文の書き方』である。しかし、いまこの本を読み直してみると、「曖昧の<が>」が何度も出てくる。「私が言うとおりにせよ」と注意するのは簡単だが、「私がするとおりにせよ」と示すのは至難の業だ
野口悠紀雄著『超文章法』p210)

(3)2018年3月1日
「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にあるのである」。三木清「人生論ノート」

「グリーンウォッシュとトム・ソーヤ」(「ビジネスに役立つ経済金融英語」連載18回)

ビジネスパーソン向け英語教育Q-Leap様「ビジネスに役立つ経済金融英語」連載18回は
「グリーンウォッシュ(Greenwash)」事始めです。最近、マスコミ等で頻繁に報道されるようになった「グリーンウォッシュ」の周辺情報をまとめました。

副題は(最後までどちらにしようか迷ういました)

「グリーンウォッシュとトム・ソーヤ」

え、経済用語とトム・ソーヤってとどういう関係があるの? そう思われた方は、どうぞ!

q-leap.co.jp

「明晰な文章を書くには、いかに切り捨てるかが重要なのである。いかに盛り込むかではない」2018~2020年に出会った言葉

(1)2020年2月28日
日本の検察にはそんなに人材がいないのか。
(「池上彰の新聞ななめ読み 検事長の定年延長 その答弁、怒るべきです」2020年2月28日付朝日新聞
*引用文は、検事長の定年延長の理由として森法務大臣が「重大かつ復座宇、困難な事件の捜査・公判に対応するため」と答弁した内容に対する池上さんの感想。普通の正義感を持った検事さんだったらやっぱり怒ると思う。辞表を胸にして集団で抗議というわけにはいかないのだろうか。議員は選挙に落ちたらタダの人だけど、検事は辞めても弁護士になれるのだし、と思った次第。

(2)2019年2月28日
明晰な文章を書くには、いかに切り捨てるかが重要なのである。いかに盛り込むかではない。(『超文章法』p78)
「これ以上削ったらまったく意味がとれなくなるか?」と考えてみよう。そうでなければ、削ろう。(『超文章法』p206)

(3)2018年2月28日
誰もが未来を見通せないから、言葉に詰まったり、表情が曇ったり、行動に迷いが出たりする。人生のリアルはその不確定にある。
(「折々のことば」本日付朝日新聞より)
眉間にしわを寄せて涙を流しても、悲しみの表現にはならない。リアルな人間の振る舞いはそんな単純じゃないですよ。芝居を見て笑っていたはずが、気がつけば泣いている。そんな喜劇をどうしてもやりたくなりました。
小松政夫「人生の贈り物」本日付朝日新聞より)

翻訳業界の「やりがい搾取」

(1)日本経済新聞の特集「『やりがい搾取』を許さない」
2023年2月20日(月)~24日(金)まで、日本経済新聞の最終面で、「『やりがい搾取』を許さない」という5回の特集が組まれた。概要は以下の通り。

 ①文化芸術「やりがい搾取」続く 性被害告発、対策進まず
 ②創作の現場、パワハラ被害者9割の衝撃 勉強会の動き
 ③展覧会、アーティストの実質報酬ゼロ? 最低基準策定も
 ④舞台スタッフ、事故やケガ隣り合わせ 契約書の締結必要
 ⑤文化予算削減のしわ寄せ 芸術家守る法整備
まとめ読みはこちら(有料記事です)
パワハラ・セクハラ・低報酬 文化芸術は変われるか
「やりがい搾取」を許さない まとめ読み

www.nikkei.com

一連の記事を読みながら、翻訳業界には、産業翻訳、出版翻訳のどちらにも「やりがい搾取」があるなあ、と確信した。僕たちの業界で働く人たち(つまり翻訳者)には英語をはじめとする外国語や外国文化や翻訳が「好きで」この仕事に就いた人が多い。ところが、

(以下引用)
「好き」な仕事だけに不当な条件でも我慢して働く「やりがい搾取」が生まれやすい。金銭に拘泥しない姿勢を美徳とする風潮もあり、報酬交渉ははばかられる。立場の弱い若手やフリーランスならなおさらで、報酬は低水準にとどまってきた。
(引用ここまで)
(「展覧会、アーティストの実質報酬ゼロ? 最低基準策定も
「やりがい搾取」を許さない(3)」2023年2月23日付日本経済新聞

「好きなこと」だからこそ、どこか理不尽だなと思っても「これは修行」「これも勉強」と無理して前向きにとらえ、不満や不平を心の底に押し込んで、あるいは口に出せずに泣き寝入りをする。発注する側(翻訳会社や出版社)も彼らの(というより僕たちの)そういうメンタリティーを利用して「ご無理なら他の方にチャンスを与える」という姿勢を示し実際にそうする。特にフリーランス翻訳者は立場が弱いのでそういう目に遭うことが多いと僕は思っている。

(2)産業翻訳の「やりがい搾取」
産業翻訳における「やりがい搾取」は、いうまでもなくその超安い単価だろう。

英和’(英語から日本語)翻訳の原文ベースで「1ワードあたり10円」が高いか安いか。

産業翻訳に携わっておられない方のために申し上げておくと、これは1時間当たり500ワードのベースで訳して時給5,000円となる単価だ。専門にもよるだろうが、これはかなり速い翻訳スピードである。通常の調べ物をしながら翻訳し、2度3度と見直して仕上げると、1時間あたり200~300ワードが関の山だろう。つまり「1ワード10円」は超安いのだ。僕は過去20年でこの単価で受けたことは1社しかない。それも確か初めて契約してもらった翻訳会社だったと思う。まもなくその単価の「安さ」に気づいたが、せっかく契約してもらったのに悪いと思いなかなか言い出せず、結局縁を切るまで3年ぐらいかかった。

その後は翻訳会社ではなくソースクライアント中心に営業をし、幸い何社かがお客様になってくれた。単価は当初の翻訳会社の2~3倍で、こうした顧客を複数持てたからこそ20年も続けられたのだと思っている。その間、業界のディレクトリー経由でオファーされた翻訳会社の単価が7円とか8円という話を何度も目にした。「まさか」と思ったが、キャリアを積むにつれ、そういう単価を「泣く泣く」飲んで仕事をしている同業者に何人にも会った。その翻訳会社がいくらで受注しているのか知らないが、「翻訳者になりたい!」という気持ちを逆手にとって1ワードあたり一桁で発注している翻訳会社はかなりあるというのが僕の実感だ。これを「やりがい搾取」と言わずしてなんと言おう?

ただし、産業翻訳における翻訳者の待遇はこれからよくなる可能性は少ないと思う。それは機械翻訳の急速な発達だ。

先日知人から教えてもらって「チャットボッド」の翻訳を試してみたが、人が少し手を入れれば完成できるレベルだと思った。しかも言語的な機械翻訳のロジックに加えて検索した結果も反映されており、時に「訳注」になるような情報まで提供してくれる。これはすごいと驚愕した。客観的に言って、産業翻訳の世界で人が食べていけるとしたら、ポストエディット、つまり機械翻訳の訳したものをお客様の要望に沿って整えていくぐらいではないか?という気がして仕方がない(現段階では明るい展望は描けない)。

僕がなぜ産業翻訳で20年も食えたかって?そりゃあんた、時代のせいだ。機械翻訳がなかったからです。

(3)出版翻訳の「やりがい搾取」
①リーディング
一方、出版翻訳における典型的な「やりがい搾取」は「リーディング」だろう。出版社の側から言うと、200~300ページの原著を渡し、「出版が決まったらあなたが翻訳者」という釣り言葉で翻訳者にレポートを書かせる。内容は著者の紹介、本の要約と感想、そして日本語で出版する意味はあるのかについての見解だ。それを基に出版社は出版するかどうかの判断をする。

これを翻訳者の立場からすると、少なくとも2回は通読してレポートにまとめると、どんなに短くても10時間。「これはいい本だ」と思うと力が入って30~40時かかったこともある。謝礼は1万5000円~2万円だ。「仕事」として考えたら全く割に合わないので「勉強」と考えることにし、「空いた」時間に取り組む。「ふざけんな!」と思っても断れない構図がここにはある。

②下訳
出版業界にかつては確かにあったもう一つの「やりがい搾取」は下訳だ。

知名度のある翻訳者の翻訳を「修行」という名の下に固定翻訳料で若手翻訳者にやらせるのである。しかも、将来その本がどんなに売れても下訳者の収入は増えない。頼む方(押し付ける方)は省力化になるし、売れたら印税ががっぽり入る。一方、頼まれる方(押し付けられる方)は、うまくすれば師匠を通して出版翻訳の機会を与えられるかもしれないと安い報酬を臥薪嘗胆の気持ちで飲み込む。この「修行」で師匠を恨みに恨んだという著名翻訳者のエッセーを読んだことがあるので、事実なのだろう。というか昔は常識だったらしい。

今はお亡くなりになったある著名翻訳者の方が、誰かに訳してもらう時には必ず「共訳」として名前を出し、翻訳したページ数に応じてきっちりと印税を分けていたという話をある編集者の方から直接伺ったことがある。僕はこれをずっと「美談」と受け取ってきたし、僕にそれを話された方もその方の立派な人格を証明する事実として話してくれた。その著名翻訳者の方に直接お会いしたことがあり、確かに人間的にも尊敬できる素晴らしい方だった。だがこれをビジネスとして考えれば、業務負荷に応じてフィーを公平に分けるというのは当たり前の話のはずである(もちろん、翻訳者のネームバリューに応じて印税率が異なるのは当然と思う)。ビジネスとして当たり前のことをしたことを美談として受け取ってしまったほかならぬ僕自身が「やりがい搾取」を受け入れていたことになるのかもしれないと最近は思うようになった(もちろん、下訳は修行なのだから、固定の低収入が当たり前という風潮の中で「当たり前」を貫いたその方が立派であったことは間違いない)。

ちなみに僕はこの下訳をしたことがない。僕の知り合い翻訳者にもいない。今はどうなっているかは知らない。こんな搾取はもう「ない」と信じたい。

(ご参考)

tbest.hatenablog.com

tbest.hatenablog.com

tbest.hatenablog.com

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「何のために、誰のために、どうして」の再認識:2018年と2019年の今日(2月26日)に出会った言葉

(1)2019年2月26日
食べ物を粗末にすればバチが当たる。家や学校でそう教えられてきた若者が、初めて店で働く。体験するのは食品の「大量死(廃棄)」だ。日々棚の売れ残りを集めゴミとして捨てたり、ノルマの季節商品を店主と店員が押しつけ合ったり。心の奥で食への感覚が変容し始めているとしたら、動画投稿うんぬんより問題の根は深い。
(「春秋」2月24日付日経新聞

www.nikkei.com

(2)2018年2月26日

例えば衣料品をたたみ直す「おたたみ」がある。これを単純作業と思えば面倒な仕事になるが「なぜ、この仕事をするのか」と考えるとおのずと答えが出てくる。「商品を見やすくして買っていただくためのもの」。こう思えば創造的な仕事になる。「何のために、誰のために、どうして」の再認識だ。
松井忠三私の履歴書」2018年2月19日付日経新聞より)

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