金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「スマホは出来ても、紙ほどの素晴らしい発明は出て来ないでしょう」:出会った言葉:3~5年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(226)

(1)3年前の今日
携帯電話やスマートフォンは持たない。「生活に余裕がなくなる。ぼーっとしているのが一番ぜいたくな時間の過ごし方だと思うんですよ。情報に振り回されたくない」……「スマホは出来ても、紙ほどの素晴らしい発明は出て来ないでしょう。紙の質感は書いた時の記憶もよみがえらせる」。国立民族博物館教授 樫永真佐夫さん 
(著者に会いたい『殴り合いの文化史』2019年6月22日付朝日新聞
*『直感と論理をつなぐ方法』でも「手を使う」ことの重要性が指摘されている。僕は1~2日に一度、英語と日本語の文章を手書きで写しています。名文が手に染みこんでくる感覚があって気持ちいい。

(2)4年前の今日
本にサインを求められたときは、表紙を開けると左側にあらわれる見返し(表紙の裏に貼ってある紙の続き)に署名する。

見返しは本文とは別の紙で、この一枚を切り取っても綴(と)じには影響しないから、著者から為書きを添えて謹呈された本でも、カッターで慎重にこの紙だけを切り取れば心置きなく古書店に売り払うことができる。だからここに署名して、そんなに価値のあるサインではありませんよ、嫌ならいつでも切り取ってください、と無言で示すのが著者のたしなみとされてきた。(引用ここまで)
(「本の終活」エッセイスト 玉村豊男、2018年6月23日付日経新聞夕刊)

(3)4年前の今日
・・・そのとき井上さんは、なんとなく日本語には音が少ないこと、外国語には音が多いことを語った。くわしくは覚えていない。
「そのせいで日本語には同音異義語が多く、しゃれがつくりやすいんですよ」
英語と比べれば、日本語は母音も少ないし、バビブベボではBとVの区別が薄い。RとLのちがいもない。いきおい同音異義が多く、
「あんた教養あるね、いつから」
「今日よ」
などという遊びが生ずる。
これに応じて私は確か、
「駄じゃれなんて言われて馬鹿にされるけど、しゃれと掛け言葉、原理的には同じものですよね」
日本文学の伝統的技法のひとつ、掛け言葉は馬鹿にされるものではない。
「本当ですね」
・・・(中略)・・・
― 初めて会った時に、あれを話したんだよな ―
感慨が深い。
阿刀田高私の履歴書井上ひさしさん 思い出の駄じゃれ論議 日本ペンクラブで深めた交友、2018年6月24日日付日本経済新聞

www.nikkei.com

(4)5年前の今日
リンカーンのゲディスバーグ演説government of the people, by the people, for the peopleを、「リンカーンはまず人民の政治、と言ったんです。ところが当時の演説の写真を見ると、どうも聴衆がきょとんとしている。そこで、「つまり人民による、人民のための政治」と言い直したわけです」
(「コラム1 思い出の語学人 鈴木長十」『翻訳力錬成テキストブック』柴田耕太郎著、p8)