金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

リンカーンのゲディスバーグ演説The government of the people……に関するメモ(翻訳ストレッチの3つの教材から)

同じ英語に対する三つの参考書からの記述を。

(1)リンカーンのゲディスバーグ演説The government of the people, by the people, for the peopleを、「リンカーンはまず人民の政治、と言ったんです。ところが当時の演説の写真を見ると、どうも聴衆がきょとんとしている。そこで、「つまり人民による、人民のための政治」と言い直したわけです」
(「コラム1 思い出の語学人 鈴木長十」柴田耕太郎著『翻訳力錬成テキストブック』(日外アソシエーツ)、p8)

(2)(The government of the people)の解釈については、「人民が所有する政府」、「人民が政治をすること」、「(人民が)人民を統治すること」、「人民に由来する政治」、「人民によって選ばれた政府」など諸説あって、いずれも断定し難く、良心的な学者たちは、ofの用法を広く調べるだけではなくて、リンカーンがこの言葉を借りたと思われる先人の書いたものを精読し、より有力な資料としてリンカーン自身の議会あてのメッセージを研究して、例えば「人民を統治すること」が最も妥当な解釈だといった意見を述べているのである。
(飛田茂雄著『翻訳の技法――英文翻訳を志すあなたに』(研究社出版)pp45-46)

(3)(ofが使われる場合も同様である。)LincolnのGettisburg Adressの中のあまりにも有名な一節"gofernment of the people, by the people, for the people"のofを主体関係を示すものと解すればgovernement of the peopleは「人民が治める政治」の意になり、目的語のofと解すれば「人民を治める」の意図なる。いずれとなるかは即断を許さぬ筈なのに、「人民の、人民による、人民のための政治」と調子のよい日本語に訳してしまうと、もう全てが分かったような錯覚に陥りやすい、というところに英文解釈における最も大きな陥穽(かんせい)がある(このofはまたof=belonging toの意と判断することもできる。
多田正行著『思考訓練の場としての英文解釈(1)』(幾分者)p56)

*飛田茂雄さんは(僕の知る限り)カズオ・イシグロ著『浮世の画家』の翻訳者として有名(僕は今も音読教材として使っています。現在2巡目)。(1)は駿台予備校の伝説的教師で『基本英文700選』で有名な鈴木先生の講義中の話を柴田さんが思い出として記したもの。『思考訓練の場としての英文解釈(1)』は知る人ぞ知る名著。これは同書第2章「名詞化表現の解析」の導入部の一節。引用文のあとに「名詞化表現の解析とは、いわば固く結びあわされたロープの節をときほぐしにかかる行為にたとえることができよう」(同書p97)と続く。

(4)government of the perople, by the people, for the peopleをいかにも真面目な文応主義者らしく、「ofは目的格『人民を』、byは行為主『人民が』、for は対象『人民のために』、すなわち『人民が人民を人民のために統治すること』と解説した。同じ題材を別のクラスで鈴木長十(鈴木注:(1)を参照)に倣っていたものだから、英文の解釈はひとつではないのだなと、翻訳に興味を持った気がする」(「コラム9 思い出の語学人 伊藤和夫」柴田耕太郎著『翻訳力錬成テキストブック』(日外アソシエーツ)、p104)
*余談になりますが、僕が駿台予備校東校舎に通っていた(1978~1979年)時のクラス、CHOICEというサマセット・モームの文章を中心とするテキストの担当を鈴木長十先生が担当するはずだったのがご病気で奥井潔先生に変わった。奥井先生の英文の解釈(というか説明)は鈴木さんに近かったことを改めて思い出しました。本書のこのページによると、教え方が水と油のような伊藤さんを駿台に引っ張ったのが奥井さんだったってんだから世の中面白い。