(1)昨年の今日
「イヤホンつきのトランジスタ、冷房の効いた部屋のテレビ。それで夏の甲子園が分かってたまるか」と、言われてみればその通りである。鮮やかな色で、テレビの画面は、細部までとらえているが、何か足りない。球場から雲のようにわきあがるどよめきと熱気は、伝わって来ない。 昭和49年(1974年)8月9日
(「甲子園の味」『最後の深代淳郎の天声人語』(朝日文庫)p62)
www.amazon.co.jp*昨日から甲子園で交流試合が始まりましたが、今日たまたま音読した『最後の深代淳郎の天声人語』のタイトルが「甲子園の味」だったので書き写した。冒頭は「夏の甲子園の味が、薄まってしまったという人がいる。昔の味は、球場食堂のカレーライス、スタンドでかじったカチワリ。そこまでは常識的だが、つぎに面白いのは、昔の味はラジオだった」と。「(雑音つきのラジオ)から出るアナウンサーの声が、妙に町のけだるさと調和して、夏そのものをかんじさせたのだという」。つまり昭和49年の時点で、ラジオはすでに「古かった」わけ。今は、「冷房の効いた部屋のテレビ」で「観客のいない球場で」静かに行われている試合を我々は見ている。深代さんでも嘆くかもね。
(2)2年前の今日
①人間はやっぱり、自分のやったことをほめてくれたりよろこんでくれたりする人がいないと、木には登らないと思うんです。
(『岩田さん―岩田聡はこんなことを話していた』p18 ほぼ日刊イトイ新聞編 ほぼ日ブックス )
②「やり甲斐とか生き甲斐っていうのは、誰かに『ありがとう』と言われることなのかもしれないよな」
(「ひこばえ」重松清作 2019年8月11日付朝日新聞)
*今日の言葉は、たまたま同じ内容の文章を今朝読んだので。よく見聞きする話ですが、自分から他人に対してはかなり意識しないと実践できない(少なくとも僕の場合)他人への接し方を改めて学んだ気がする。
『岩田さん』は僕の40年来の親友JK(イニシャルです。女子高生ではありません)が「俺が最も尊敬する人の本だ、読め!」と強烈に勧めてくれた本。毎日音読することにしました。
(3)3年前の今日
――小中高での教育改革は、大学にどう影響しますか。
「中学や高校で、まず英語を話せるようにするという計画ですね。とてもそんなことができるとは思えない。英語で英語を学ぶって、聞こえはいいけど、先生方がみな見事な英語を話し、生徒が全部、理解して、英語力が急に伸びるなんてことはあり得ないです」
・・・
――実力をつけたい学生はどうすればよいか。
「基礎ができている学生は、大学に入ってからの伸びが違います。文法と読解をしっかり学び、できるだけ音声に触れ、機会があれば正しい英語を話すことです」
「私は会話は非常に重要だと考えています。ただ、正しい英語を話すことが大事なのです。今は間違ってもいいから話すのがいいとか言いますが、基礎もできないうちに、いいかげんな英語を話すなんて、ダメです」
「例えば、柔道で受け身も知らずに、いいかげんに技をかけたら危ない。いまの英語教育は、受け身ばかりやっても技ができないという理屈で、基礎をやらなくなっている。基礎より、まず楽しさを教えなきゃいけないという。それじゃあ、ケガをしますね」
(変わる大学の英語教育 東大教授 斎藤兆史氏 「話す」偏重の改革は危険 ― 辛言直言 2018年8月8日付日本経済新聞)
(折々のことば)840 度を超した無駄は神聖に見え…:朝日新聞デジタル
(4)4年前の今日
①メッセージが8割の重要性をもつ/(メッセージは・・・)一言で言えるか?/書きたくてたまらないか?/盗まれたら怒り狂うか?
(『超文章法』野口悠紀雄 pp10-11小見出し)
②度を超した無駄は神聖に見える。内堀弘
(2017年8月11日付朝日新聞 「折々のことば」より)