生成AIによる文章は、八方に気を配りすぎるあまり、角や癖、毒がそぎ落とされ、結果としてつまらないものに成り下がることが多い。これは、私がこれまで生成AIを翻訳に利用してきた経験から得た感想である。この傾向は、通常の作文にとどまらず、論文や会議の要約文にも表れるのではないか。だからこそ、AIが生成した文章は、あくまで人が大幅に改善を施すための素材として利用するか、部分的な表現の修正に限ってしか使えない。
人が読むものを製作する限りにおいては、その過程では非常に役立つ効率的なツールなのだが、仕上げには使えないということかと思う。
(後記)昨年8月24日に、 Facebookに次のような書き込みをしていた(「思い出」で1年前の記事が出てくる)
「Chat GPTによる校正は、論文や報告文、事務的な手紙には、文体を整理してくれるのでうまく機能するのだが、私的な手紙やエッセイを校正させると整い過ぎてつまらなくなる。最大公約数的な文章になるのでエッジが効かなくなるのだと思う。」
この直感は正しかったと思います。