(1)2019年9月18日
生物は、つねに余裕をもった生活をしている。そしてその余裕を惜しげもなく利用したいものに利用さしている。 今西錦司
(「折々のことば」 2019年9月18日付朝日新聞より)
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— ASA自由が丘(朝日新聞) (@ASAJiyugaoka) 2020年8月11日
1584 生物は、つねに余裕をもった生活をしている。そしてその余裕を惜し気もなく利用したいものに利用さしている。
仲間でもなんでもないけど、同じ方向を見て生きていく。 pic.twitter.com/EOlsaG66lY
(2)2018年9月18日 ·
校閲者が「日本語のプロ」「日本語の専門家」だと思っている人は、意外に多いようです。……
それは、違いますね。自分を専門家だ、日本語の知識は誰にも負けない、などと思っている校閲者は、はっきり言ってダメな校閲者です。己を疑わない校閲者に、校閲はできません。
……
……調べずとも済む当たり前の部分と、「これはちょっと確かめておかないと危ないぞ」という部分との匂いを嗅ぎ分けて、危ない部分は慎重に調べて行く。ここらへんの呼吸は、長年失敗を繰り返して身につけていくしかありません。「言葉の素人」であることを常に訓練しているような者ですね。
(校閲者は「言葉の素人」のプロ 『その日本語、ヨロシイですか?』井上孝夫著 新潮社 p15-16)
*本日ご紹介した文章は、11月にこの方のセミナーに行くので事前学習に読んだ著書の一節から。これはことさら校閲者というというよりは、職業人(特に専門職と呼ばれる人々)として身につけておくべき謙虚さの重要性を説いた文章として読みました。たとえば、上の「校閲」「日本語」を「翻訳」に置き換えて読んでも全く同じ事が言えると思います。
(3)2017年9月18日
惚れる、つまりある人に魅了され、別の人は目に入らないのではなく、その人の横だと無防備のままくつろいでいられる、そんな緩衝地帯が人には要る。
(本日付朝日新聞」「折々のことば」より)