金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「個人的には反対だった」で免責されるのか:(2年前~8年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(39)

(1)2年前の今日
わたしの経験からいうと、あるプロジェクトがうまくいくときって、理想的なリーダーがすべて先を読んできれいに作業を割り振って分担して、その通りにやったらできました、という感じのときではないですね。…
 どういうときに企画がうまくいくかというと、最初の計画では決まってなかったことを、「これ、ぼくがやっておきましょうか?」というような感じで誰かが処理してくれるとき。そういう人がたくさん現れるプロジェクトは、だいたいうまくいくんです。
(『岩田さん―岩田聡はこんなことを話していた』p59、日刊ほぼいとい新聞編、株式会社ほぼ日

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(2)3年前の今日
「世の中の人はね、何かの点で少数者ですよ。私も、あなたも」飯間浩明さん
(プロフェッショナル仕事の流儀 「言葉の海で、心を編む」)

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(3)4年前の今日
ふりがなを「ルビをふる」と言うが、これは宝石のルビーからきているそうだ。五・五ポイントの小さな活字をルビーと呼び、大きくなるとダイヤモンド、エメラルドと区分したらしい。言葉を宝石で編む。素敵な話だと思った。
(『古本の時間内堀弘 (昌文社)p26)

(4)8年前の今日
英霊の声
一昨日、昨日につづいて、もう一度「敗戦」のことを書く。敗戦によって、われわれの精神構造や行動様式は変わったのか。三十年の歳月は何を変え、何を変えなかったのか。

敗戦後九カ月して極東軍事裁判が開かれ、戦争指導者たちの責任が問われた。そこで指導者たちは何を主張したかを、丸山真男『現代政治の思想と行動』(未来社)からみてみたい。木戸被告(元内大臣)は、日独伊三国軍事同盟について「私個人としては、この同盟に反対でありました。しかし現実の問題としては、これを絶対に拒否することは困難だと思います」と答えている。

東郷被告(元外相)も同じ問題で「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事には成り行きがあります」と述べた。大勢の流れに反対の意見を述べるのは私情をはさむものだ、という考え方であろう。「既成事実」こそすべての王であり、それに従わねばならぬという理屈は、他国人には理解を超えるものだったに違いない。

この点で、小磯被告(元首相)を論難する検事の言葉は痛烈だった。「あなたは三月事件にも、満州事件にも、中国における日本の冒険にも、三国同盟にも、対米戦争にも反対してきた。あなたはこれらに反対して、なぜ次から次へと政府の要職を受け入れ、一生懸命に反対する重要事項の指導者の一人になってしまったのか」(以上要約)。これに対し小磯被告は「自分の意見は意見。国策がいやしくも決定せられました以上は、それに従って努力する」と答えている。指導者のだれもが戦争を望まなかったが、戦争は突如として天地異変のごとく起こったような錯覚さえ持たせる。実は「天地異変」ではなく国策であったのに、それに責任をもつ者は一人も現れない。そして勝手に「天皇」が使われ、「英霊の声」が利用された。

「個人としては別だ」「それが世論だ」という言い方で個の責任を免れようとする無責任な集団主義は、はたして克服されたのであろうか。
(昭和50年8月16日)
(引用終わり)
深代惇郎著『深代惇郎天声人語』(朝日新聞社)p162

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