金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「長くやっているとこうなってしまうのか……これは潮時かと思った」:出会った言葉(2017~2019年の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(150)

(1)2019年の今日
間違いなく高い経営判断のある役員からも、それ(注:社長である自分の意見)に合わせる意見が出るようになったわけである。長くやっているとこうなってしまうのか……これは潮時かと思った。
(澤部肇(TDK元会長)私の履歴書「社長を退く 速い変化、ついていけず 後任選ぶ責任 最後の教育」2019年12月26日付日本経済新聞

*上司だった人の引き際の美しさを感じたことが一度だけある。
以前勤めていた会社がとてつもなく大きな不祥事にまみれた時のこと。本社には地検が入り(僕の部署にも入った)、取締役の皆さんたちは地に足がつかず(これは同情できる)、広報担当某常務は行方がわからなくなり(これには少なくとも僕は怒った)、結局、日常業務はどこの部署も課長以下が回すという期間が2週間ぐらいあったかなあ。事が最近話題の「反社会的勢力との関係」だったので、社員も皆、経営陣に対して怒りと情けなさを感じていました(その数年前の損失補填の時には、自分たちにも非があるという思いがあった)。

そうしたある日、ある報告があって当時の代表取締役専務の部屋を訪ねた時のこと。淡々と報告を済ませて帰ろうとする直前にTさんが一言、「鈴木君、君は僕たちが辞めるべきだと思うかね」と仰った。Tさんはその事件とは何の関係もないと言われていた。当時僕は、私の上司だった部長を含む主要な部長数名が血判状を書いて社長に辞めろと直訴した(・・・と言われている。この方々のおかげで会社は大きくよい方向に向かったのですが)という話も伝わっていた(ご本人に確認はしていません)。

さすがの僕も大事なことを聞かれていると思ったので意を決した。「はい。代表取締役以上の皆さんは、全員お辞めになるべきだと思います。そうじゃないと社員の気持ちが収まりません」「……そうかぁ。いや、ありがとう」。あの時のシーンは今でもはっきり覚えている。その後、副社長お一人が会長に残った以外、代表取締役全員が退任した時、数少ない下々の意見として僕の意見も少しは参考になったかもしれないなあ、と感じた。「私の履歴書」を読んで、この時のT専務の立派な態度をまた思い出しました。2カ月ほど前にある勉強会で再会したら好々爺になってましたけど。

www.nikkei.com

(2)2018年の今日
「国民」を神聖不可侵の存在に仕立てて、政治家だけを悪者にするのは、わかりやすいが、事実ではない。(1975年1月23日)
(「前言取り消し」『深代惇郎天声人語』p103) 

(3)2017年の今日
時空を超えて作曲家に会い、その魂を未来に受け継ぐことができる。
秋山和慶さん「人生の贈り物」本日付朝日新聞
(感想)
実は、この文のあとに「これは音楽にしかできない奇跡です」と続くのですが、そうだろうか?と思いました。
「いい作品には、新しい訳を出し続ける必要がある」と村上さんは言う。
(「『自分の一部を訳しているよう』村上春樹さん チャンドラーの長編7作完訳」2017年12月22日付朝日新聞より)
たしか、柴田元幸さんも同じ趣旨のことを仰っていた(か書かれていた)。その意味では「原作者の魂を受け継ぐ」のは音楽の特権ではないような気がする。
よい1日を!