金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「誤訳」と「悪訳」

「『誤訳』とは、原文についての(語句・構文・文法・内容などの面における)解釈が間違っていて、それが原因で生まれる訳文。
『悪訳』とは、解釈そのものは正しく行われていても、訳文を通して原文の内容の正しい理解に到達することが困難なもの、としておく。つまり『誤訳』は解釈の誤りに由来し、『悪訳』は表現の欠陥にかかわる。
(中原道喜著『誤訳の構造』(聖文新社)p12より)

3年前の1月から、僕自身は訳さずに複数の翻訳者の方の翻訳を校閲して一つのレポートにまとめる仕事をしています。それで感じるのは、「悪訳」は訳者本人よりも他人の方が気づきやすいということ。

翻訳者はどうしても原文に近づきすぎて、できあがりの日本語を他人ほどには客観的に見られない。翻訳を担当される翻訳者の皆さんは大半が実務経験者で、しかも全員この道10年以上なので、僕が手を入れる所はほとんどが(誤訳ではなく)「悪訳」で、かなり直すことも多いけれども、それは僕の方が翻訳ができるからではなく僕が翻訳を担当していないからだと思う。実際、時たま人手が足りなくなって僕が翻訳すると、僕の「悪訳」も直される(恥)。翻訳者の準備段階としての単なるチェッカーでなく校閲者は必要だと強く感じます。