「1967年当時、十万部を超す翻訳ものは、1年に1冊出ればいいほうだった。ハヤカワ・ノヴェルズとハヤカワ・ノンフィクションの編集を担当していた私が、翻訳者に仕事を依頼するときは、おおむね初刷は五千部であると申し上げていた。アメリカでいかにベストセラーになろうと、評判がよかろうと、日本で売れるか売れないかは、手さぐりでもまだわからない時代だったのである。翻訳ものは片仮名が出てくるんでねえ、と取次店から敬遠されたころである」
(引用終わり)
『翻訳出版 編集後記』常盤新平 (幻戯書房)p8
「翻訳本がこんなに売れない時代があったのだ」という文脈の、1977年に10年前を振り返った文章。今はこの時より悪いのだろうと思いながら読んだ。買おう買おうと思っていたが値段で渋っていたのだが、ひょんなことから昨日購入した。寝る前に読みながら買って良かったと思いました。ご紹介くださったSさんと背中を押してくださったKさんに感謝。
先日のパーティーで、某翻訳雑誌編集部のMさんに「最近、翻訳競合2誌の特集、似てきてない?もっと新機軸出したほうがいいと思いますよ・・・」「いや、その通りで・・・」「そうだなあ、『翻訳は食えるのか?』とか『なってる場合か翻訳者?』なんて特集どう?」「そ、それは・・・」「それとさ、出ちゃった自分が言うのも何だけど、出演者も開拓しなきゃ」「どなたか、ご存じないですか?」「それを考えるのが君の仕事だろぉ。足使えよ、足!!」「は、はい・・・」。
常盤氏の書籍を読みながら、僕より20歳以上若いのをいいことに、こんな失礼な質問をぶつけて困らせていた自分を思い出した(ゴメンねM君。一生懸命やってるんだよね。)。