金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

民主主義を考える上でのお勧め本2冊(2019年11月)

(以下引用)
経済的に豊かな有権者は不満があっても次の選挙まで待って投票で意思表示する余裕があった。だが、投票は不満のはけ口として機能しなくなってきている。
(世界覆う「政府への怒り」 イアン・ブレマー氏 米ユーラシア・グループ社長 2019年11月21日日本経済新聞

*イアン・ブレマー氏は、Time誌にも毎週寄稿しており、テレビ東京の「モーニングサテライト」でもよく紹介されている。もし機会があればこの方の本を訳してみたいと思う著者の一人だ。この記事は民主主義が胸突き八丁に来ていることを指摘しており、記事全体の一読を是非お勧めするが(7面のオピニオン2)、今日の一節を読んだ時に、次の文言が頭に浮かんだ。

「資本主義と民主主義の両方が危機に面した時に、若い世代は、政治でしか世界を変えられないという発想にしがみつくことになる。議会で多数派となって新しい政策を掲げて、制度をかえるんだという発想以外、出てこないのです。……私はこうした発想を『政治主義』・『制度主義』と読んでいます」(『未来への大分岐』マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン著、斎藤幸平編、集英社新書、p55、斎藤幸平さんの発言から)。ブレマーさんが先進国一般の傾向として語っているのに対し、斎藤さんは特に日本でその傾向が強いと言っているのかなと。ただはっきり言って、日本の経済的優位性はすでにかなり劣化している。いつまでも香港を対岸の火事とみていていいのか、ということを示唆しているのではないか、と思った。

この二つの文章とともにお勧めしたいのが、『民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道』(レビツキー/ジブラット著、濱野大道訳、新潮社)だ。これも『未来への大分岐』と同様、今年初めに僕が月一で参加している勉強会のテキストになった本だ。同書は、民主主義を機能させるために必要不可欠のものとして君臨していた、相互的寛容(対立相手が憲法上の規則に則って活動している限り、相手も自分たちと同じように生活し、権力をかけて戦い、政治を行う平等な権利をもっていることを認めるという考え方)と組織的自制心(法律の文言には違反しないものの、明らかにその精神に反する行いを避けようとすること)がアメリカで崩れ始めていると指摘している。僕にとってはかなり衝撃的な内容で(括弧内の説明は同書pp132-137より)。翻訳も見事で、ああ僕がこういう本を翻訳したいと思ったくらいである。

本当に残念だけど、ここ数年の日本がまさにそうだよね。日本の民主主義はまさに崖っぷちに来ている。そのことをどれだけ多くの人々が共有できるのだろう。

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悪い英語ホームページの見分け方(2019年11月)

Google検索で "Reiwa"、"Heisei" ”top message"と打って出てくる会社は、英語版ホームページの意味がわかっていないと断言できます」とある経営者向け勉強会で話したらバカ受けした。

 

社長さんが「平成から令和という新しい時代を迎え」と言うのはいい。それを日本語のホームページに掲載しても不思議ではない。

でも、それを英語(版)にするときに、『読者は海外の顧客や投資家なのだから』とだ~れも考えなかったんだね。

秘書も、企画室も、IR担当部署も、IR会社も、翻訳会社も、翻訳者も、ネイティブ・チェッカーも、だ~れも。

彼らが考えていたことはただ一つ。

社長様のご立派な内向き発言を、なるべく正確に英語にすること・・・だけ。

百歩譲って、「日本人向けに日本語で出しているホームページの英訳版」だったとしたら、せめて年号についての解説入れようよ。

もっとも、そんな「英語版ホームページ」って(仮に)いっくら正確に英語に翻訳されていたとしても、な~んの意味もないと思うけど。

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映画「真実」(主演:カトリーヌ・ドヌーブ、監督:是枝裕和)を観に行く(2019年11月)

出会った言葉:
「……魔法はないんです。地道な作業です」 映画監督 是枝裕和さん
(「名俳優×名監督:言葉の壁を越え ― たくさん話し、こまめに手紙。魔法はない 是枝監督」2019年10月11日付朝日新聞)。

昨日は、ほぼ3カ月ぶりのお休みを取って「真実」を見にいった。ジワジワと感動が広がってくる素晴らしい映画だと思った。見終わった時の最初の感想は、すべての内容をもう一度頭の中で整理して「もう一度見たい」。

当初30分ぐらいはフランス語を耳にしながら(つまり音に全く頼れずに)字幕を見ることに追われて、 ただ、とても綺麗な映像と高尚な雰囲気にちょっと飲まれちゃったようで、内容を把握するのに時間がかかった。「NHKの特別番組見ていたのに、わからなかったの?」と相方からは呆れられました。妻の感想は「今まで見た是枝監督の映画の中で一番感動した」。

冒頭の引用は、カトリーヌ・ドヌーブさんが撮影現場でとてもリラックスしている様に見えた。どんな魔法をつかわれたのですか?とのインタビューアーの質問に対する是枝監督のお答え。NHKの番組(BS1スペシャル「是枝裕和×運命の女優たち~フランスで挑んだ1年の記録~」)でもそうでしたが、是枝さんは文字通り控えめに、地道に、コツコツと努力される方だと思います。

「『これは俺の作品だ、だから俺がやるとおりやれ』というのは、作品よりも自分が可愛い人が言う台詞。僕はそんな唾棄すべきことは言わない」という趣旨のことをおっしゃっていましたが、妻が取っておいた新聞の切り抜きを昨日見て改めて作品だけでなく監督の人柄と経営者としての姿勢が素晴らしいと思った。

話は変わりますが、一昨日の夜は、世間から「ティール組織」と呼ばれている企業経営者5名の方との飲み会にお誘いいただいた。業種も違えば社員数も異なる皆さんに共通していたのは「物静か」「(どちらかというと)無口)。いかに社員の皆さんに気持ちよく仕事をしてもらうかの環境作りをじっくりと考えて、ちょっとお手伝いするみたいな。是枝監督的だな、と昨日映画を見て、帰宅して引用の新聞記事を読んで、改めて思った次第。おそらく、一番大声で「俺が、俺が」的おしゃべりをしていたのは、『ティール組織』訳者の僕だったのである(恥)。

最後に、この映画の英語タイトルはThe Truth。いまは、「ポスト・トゥルースポスト真実)」の時代。「何が真実かを決めるのは、自分自身だよ、自分の頭でじっくり考えてください」という是枝監督なりの「政治的な」メッセージだったかもしれないと思った。

できれば、事前学習してから見にいくと感動が深まると思います。

翻訳勉強会の効用

 3年ほど前から、K社編集部K先生の主催される翻訳教室の卒業生(1期につき半年のコース2期1年で「卒業」、それ以上は受講できない)による勉強会に参加している。分野は文芸。教材は原文、先生の試訳、学生訳、講義録、そして講義を録音した音声ファイルをすべて先生のご厚意で無償で提供していただいている。僕たちの勉強会は毎月第1水曜日の午後7時から2時間。出席者は毎回10名前後である。
 事前に自分の訳を提出しておき、当日は課題分の「講師訳」を順番に音読し、先生からいただいた詳細な講義録を随時参照ながら、段落ごとに問題点や疑問点を話し合うというスタイルだ。なお課題の提出期限はその週の日曜日なのだが、僕は月末月初にプロジェクトを抱えていることもあり、毎回、当日に全員の分を印刷して持ち込んでいる(恥)。
 月に1度の翻訳勉強会で何を最も学べるかというと、やっぱり多くの人々のさまざまなプロセスだと思う。
①どの辞書のどこをどう眺めた、どう組み合わせて考えた。
②どの句を検索した、どの絵や写真、映画を見た、どの本を探した、何を聴いた。
③その上でどう考えた
④その上でどう訳した(訳せなかった)
 ・・・・というのが人によって微妙に、あるいはかなり異なる。何しろ、普段取り扱っている分野も異なるので、調べ方も人によって結構ちがうんだ。年齢も職業もさまざまなので、同じ言葉に対する背景知識や語感も当然異なる。
I've also been a schoolteacher and worked construction and run the night shift at a homeless shelter and interned at a men’s magazine.”(Sam Lipsyte "The Appointment Occurs in the Past" from New American Stories Edited by Ben Marcus, p275
A嬢「この、interned at men's magazineって(「男性誌インターンもしていた」という訳文だったとしても)どういう意味かしら?」
B氏「出版社のインターンですかね・・・」
TS氏「それは・・・男役、相手役でしょ。女優の・・・ men’s magazineでっせ」
女性陣:???
C氏「つ、つまり・・・だ、男優ということでは・・・」
「な~るほど、・・・でも本当にそうかしら?」
「話してる相手は娼婦だぜ、初対面の。こりゃどう考えてもアレでしょ、あれあれ」(勢いづくTS)
「・・・単なるファッション誌じゃないの?」
「そ、そこはさあ、『ポルノ男優』を、かっこつけて、気取って言ってるワケよ」
 ・・・てな感じの、わいわいガヤガヤのフリートーキングからエッセンスを拾う(ほとんどはもっと高尚な話題です)。
 そこが勉強になる。
 毎回、自分の訳文を持って行くのは恥かきに行くようなものだが、僕は「参加チケット」と開き直ることにしている(持って行けないこともある。仕事で出られないこともあります)。
でも行く価値は大いに、大いにある。
 自分が悶えてもだえて苦し紛れになって訳をひねり出したり出せなかったり箇所を、他の多くの皆様も苦しんでいた、ということがわかって少しホッとしたりしてね。
 先生は教材を提供されるだけで、勉強会には一切お出にならないので、全員が誰の顔色を伺うこともなく、平等に、自由に、遠慮なく(でも礼節を失うことなく/私が時たま下品にしているが(恥))考え、話し合うことができる。 ここが教室と勉強会の一番大きなちがいではないかな。
 終わった後の補講(飲み会)も楽しみだしね。
(補足)なお、この「卒業生勉強会」は、翻訳教室の期が重なるについれて徐々に増えていき、現在は6つぐらい。70~80人ぐらいが学んでいるのではないだろうか。しかも勉強会後には各回の書記(僕らの勉強会では毎回立候補で決めている)が書いた「まとめメモ」が先生に送付されて、その後全員に配られるので、他の勉強会の様子(というかポイント)も読むことができる・・・と一粒で何度も美味しい翻訳学習システムができあがっているわけだが、ここまで書いてきて、「果たして自分はそのおいしさを十分に味わっているか?」と自らの努力不足を大いに反省した次第。
 

「それは社長が覚悟しています」(2019年11月)

(以下引用)
それは社長が覚悟しています。
(引用ここまで)
(「多様な働き方 労働時間の管理は:サイボウズの中根弓佳執行役員に聞く」2019年11月4日付朝日新聞 生活面より)

* 2つのことに感動した。第1に「それ」の中身。この会社の社長は、社員の配置を自由に決められないと事業に支障が出る場合があることを覚悟しているのだ。先の中根さんの発言に次の言葉が続く。「……どうしてもやりたい事業は、担当したいという社員が出てくるのを待つか、担当できる社員を社外から採用するかします。どちらも無理なら、その事業はあきらめます」。「社員第一」とか「人材は人財」と謳う会社は数多くあるけれど、ここまで具体的に「社員の幸せにつながらないことはやりたくない」と言い切れる会社は世の中にどれだけあるだろう。

第2に、この発言を外に向かって発信しているのが社長ではなく、職責上彼の部下である中根さんだという事実。「社長はこれを覚悟している」とはっきり部下が外に向かって言える会社。誤りを率直に認めながら、それを矯正する取り組みについても、社長以外が外に向かってはっきり言える会社(この記事はサイボウズ働き方改革の取り組みについて、結構具体的に、問題点も挙げながら紹介している)は、世の中にどれだけあるだろう?僕はこの会社の株主(ちなみに妻も:単位株主ですけど)なので、来年も株主総会に出ようと改めて思った。

よい1日を!

『斎藤秀三郎伝ーその生涯と業績』:自分の所有物なのに公共物みたいな感じ(2019年11月)

斎藤秀三郎伝ーその生涯と業績』(大村喜吉著、吾妻書房)に線を引けない。

恐らく30年以上本棚に眠っていて誰も読むことのなかった本だからなのか、毎朝と寝床で5分ぐらいずつ音読している本書に線を引く勇気が出ない。

これはもう僕のものなのだけど。何をしてもいいはずなんだけど。

図書館でも滅多に手に入らず、15年前には少なくとも江戸川区立図書館にはなかったので、都立図書館までコピーしに行った(さっき見たら今も江戸川区立図書館にはない)、あの本を手に入れたのだ、と思うとどうしても。8000円したから、ではないと思う(たぶん)。

僕はこの本をずっと取っておくつもりだが、いつか、この本が処分されたときに、ほかの人に綺麗なままで読んで欲しいと思うからかな。

僕の次に、誰かに読まれることを待っているみたいな。

自分の所有物なのに公共物みたいな感じ。

こういう経験は初めてだ。

機械翻訳できる文章はつまらない(2021年11月)

(以下引用)
いい加減な言葉は人類に発達をもたらした。
(引用ここまで)
坪内稔典「半歩遅れの読書術 ― 言葉はなかなか伝わらない……いい加減さの先に広がる共感」2019年11月2日付日本経済新聞読書欄)

* いい加減な、多義的な、曖昧な文章ほど面白い、とおっしゃっている。この文章の前の段落で、「いい加減さがたっぷりとある社会、それは創造性に富む豊かな社会だ」とも。味わい深い文章だ

さて、このエッセイの主要テーマはとりあえず横に置き、この言葉は、機械翻訳がこれからどう進んで行くだろうと考えていく(我々翻訳者は身構えていく?)上で示唆的だなと思った。

「いい加減でない」とは「誤解の余地が少ない」ということだ。つまり定義の厳密な用語がたくさんあり、文法構造が複雑だが例外は少ない、ということになる。僕の知っている範囲で言えば取扱説明書、案内文、政府広報、契約書、法律文書、財務諸表、四半期報告などだろうか。

「いい加減でない文章」は「味気ない文章」と言い換えることもできる。政府広報を読んで感動する必要などはない。そういう文書は、速く正確であることが期待される役割だ。だから、機械にやってもらう時代が早く来た方が世のため人のためではなかろうか。