金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

ChatGPTは、口達者な耳年増(2023年10月25日)

(以下引用)
(1)AIの目覚ましい発達に目が眩んで忘れている方も多いと思いますが、コンピューターは計算機なのです。計算機ですから、できることは基本的に四則計算だけです。……(AIは)「あたかも意味を理解しているようなふり」をしているのです。
……
(2)数学は、論理的に言えること、確率的に言えること、統計的に言えることは、実に美しく表現することが出来ますが、それ以外のことは表現できません。人間なら簡単に理解できる、「私はあなたが好きだ」と「私はカレーライスが好きだ」との本質的な意味の違いも、数学で表現するには非常に高いハードルがあります。これが、東ロボくんの成績が伸び悩んでいる根本的な原因だと言えるでしょう。
(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(1)がP107、(2)がp119)

というのだそうです。実はこの書き込みをを受けて、僕は2019年につぎのように書いた。

「この部分を読んで、初めて機械翻訳について考えた(今まで読んだことも、誰かのご意見を聞いたこともありません)。新井先生のおっしゃる通りなら、次の二つの解釈しか成り立たないのではないかな?

①我々の文章には「意味」やメッセージが込められている。ところがAIには文章の意味がわからない。したがって我々が扱っている文章の大半は機械翻訳できない。

②我々が目にする文章の大半は、一部の例外を除くと本質的な意味(著者のメッセージなど)がわからなくても「通じた気分になる」抜け殻のような文章である。したがって機械翻訳で翻訳可能。
どっちだろ?」

ChatGPTが②を実現させた今の時点で僕はこう考える。

①確かにAIは文章を読む以外の経験を何もしていない。だから創造的な文章も見事な翻訳を書けないので「使えない」わけではないと思う。その限界を分かったうえで使えばよいのではないか。

②我々人間の中で、読み書き話すことの情景や場面をすべて経験している人など、そもそもいない。多くの言葉はどこかで聴いたり読んだりしたものなのだ。AIがそうした実体験をしていないことは事実にせよ、その結果としてコトバが浮いていると感じた時には、使わなければいい。つまり、ユーザーが「これはそうだ」と納得すれば用いればよいし、浮いている「何か変!」「浮いている?!」と思えばつかわなければよい。つまりこれは「ユーザー側」の識別能力の問題であって、AI側の表現能力の問題ではない、ということではないかな。

あえていえばさ、口達者な耳年増をうまく手なずけて使うのも、振り回されるのも、あなた次第ということ。

冒頭の文章を新井さんが書かれた本の出版は2018年。あれから5年たって、おそらくChatGPT搭載の東ロボ君を使えば、模擬試験の点数は一気に壁を突き抜けるような気がする。

ちなみに、コンピュータは実際には経験していない問題を「記号接地問題」というのだそうです(間違ってたらゴメン)。不勉強で昨日まで知りませんでした(大恥)。
下↓に設置問題についての説明あり。

tbest.hatenablog.com

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