金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「『考え抜けば、アイディアが降臨するのかどうか』。…私は、多くの場合にこれが正しいと信じている」:2018~2020年の今日に出会った言葉

(1)2020年の今日
①白なのか黒なのか、ではなく、白でもあり黒でもあるのではないか、はては、白でもなく黒でもないのではないか。そういう、ある種測れない形のぼんやりしたものが文学的なのではと思うのです。
②「余白と言おうか、余剰とでも言おうか、曖昧だからこそ、逆に表情を豊かに受け止める力が生まれる。その可能性を私は信じたいのです」と川端は答えています(「NHKスペシャル・シチュエーションズ戦略 私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」2015年10月10日)
(『井上陽水英訳詩集』ロバート・キャンベル著(講談社)①②ともにp47)

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*本日の言葉:②の文章は、『雪国』を訳しているドナルド・キーンさんの質問への著者川端康成氏の答えの一部。何が文学的かどうかは僕にはわからないのですが、しかし「明確にわからないまま」では訳せないのではないかと考えたキーンさんが『雪国』の男女の会話の主語は何かと考え質問した理由はよくわかる。それに対して川端さんは不明確なままでいい、というか不明確の方がよいと答えた。だから、曖昧なまま訳すのが正解なのだろうなあ、とは思いつつ、果たして自分は日本語をどこまでわかったつもりで読んでいるのだろうとも。

(2)2019年の今日
「考えない限りアイディアは生まれない」というのは、ほぼ自明のことだ。問題は、その裏命題、つまり、「考え抜けば、アイディアが降臨するのかどうか」だ。私は、多くの場合にこれが正しいと信じている。
野口悠紀雄著『「超」文章法』p32)

(3)2018年の今日
所かわれば比喩もかわる。「湯水のように使う」という言い方は、アラブの国に行くと「大事に、大事に使う」という意味だそうだ。
(「水蒸気」『続 深代惇郎天声人語』p44)