金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「専門家とは……」出会った言葉(1年前~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(48)

(1)1年前の今日
専門家とは、難解な術語で素人の疑いをはぐらかし、改めるに最も憚る人たちのことなのか。(1974年8月22日)
(『最後の深代淳郎の天声人語』(朝日文庫)p69)
*46年前のこの言葉は、ある食品添加物動物実験で発がん症状が出て、それまで「安全性は保障済み」と消費者の訴えを退けてきた「専門家の集まる厚生省と食品衛生調査会」がついにその添加物を禁止した経緯を説明した後の一言。今とシンクロする感じがして引用しました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4022618787

(2)2年前の今日
「すべてのことは自分が原因を持っている」が母の口癖でした。
(「樹木希林さん一周忌を前に―女優 内田也哉子さんの思い」 2019年8月29日付朝日新聞

樹木希林さん、一周忌を前に 娘・内田也哉子さんの思い | さぶろうの WORDS OF LOVE

(3)3年前の今日

……ほとんど憤りにも近い感情の、一番の理由は、芸術が日常生活を脅かすものとして描かれていることだろう。漫画家を目指すヒロインは、故郷を捨てて上京する、そのヒロインが結婚した夫は、映画監督になる夢をあきらめきれずに妻子を捨てる、夫が師事する先輩は、自らの成功のために脚本を横取りしてしまう……漫画や映画、そしておそらく小説の世界も同様に、生き馬の目を抜くような、エゴ剥き出しの競争なのだと想像している人も少なくないとは思うが、しかし現実は逆なのだ。故郷や家族、友人、身の回りの日常を大切にできる人間でなければ、芸術家にはなれない、よしんばデビューはできたとしても、その仕事を長く続けることはできない。
磯崎憲一郎「技術と日常」文芸時評 本日付朝日新聞朝刊)
*僕はどちらかと言うと北川悦吏子さん(注:上の評はNHK大河ドラマ「半分青い」についてのもの)の見方に近い。というか、北川さんは芸術家ではなく、フリーランスの厳しさを表現していると僕は観ていました(確かに鈴愛も亮ちゃんも自分勝手だけどね)。

ウィキペディアを見る限り、磯崎さんはサラリーマンとしての経歴しかないようにみえる(三井物産広報部長から東工大教授)ので、サラリーマンからみれば非日常に見えるフリーランスの世界を芸術一般の世界と混同してしまっている、逆に言えばフリーランスもそうでない世界も含む「芸術」の全体像をきれいに見過ぎではないか。フリーランスの翻訳者である僕はやや「そちら側」に近いから北川さん側に情が移るのかも。

(4)4年前の今日
役者さんのアクションよりもリアクションを大切にしています。
(2017年8月28日NHKのお昼の番組「是枝イズム 台本を渡さない?」で是枝裕和監督)