金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

僕が喰えちゃった理由(2020年8月2日)

(何回ぐらい見直しますか?という質問に対して)
「5、6回ぐらいかなあ。英語と日本語を付き合わせながら見直して行かないと原文から離れてしまう。しかしそうすると文脈、というかパラグラフの視点がなくなってくる。日本語だけで見直すとその点が是正されるけれど、それだけだと原文から離れやすい。かわりばんこにやります」
柴田元幸さん、2020年通訳翻訳フォーラム基調セッション「僕は翻訳についてこう考えています」(2020年8月1日)より)

上の文章は引用符で括っていますが、ご発言内容は録音や録画を再生したものではなく、鈴木の記憶に基づいています。柴田先生のお話を読んだり見たりしていると、翻訳ってつくづく「アナログ」だとの意を強くする。

もうひとつ、昨日の柴田先生のお話で改めて考えたのは、「専業翻訳では喰えない」ということだ。「自分の好きな分野だけに集中できるような立場を確立するにはどのような戦略(?)を立てると良いのでしょうか?」という質問へのお答えは「収入の見込める仕事を別に確保すること」だった。

元々「翻訳は趣味」と仰っていた柴田先生のお答えは予想通りだったけれども、この質疑応答は、結局「趣味を十分に楽しむには仕事をしっかりしなさい」という当たり前のやり取りにすぎない。「いやいやこれは文芸翻訳のことで、実務(産業)翻訳は別・・・」とずっと僕も思ってきたし、実際18年間これだけで喰ってきたわけだが、同じ翻訳なのに「実務は喰えるけれども出版は喰えない」というのは、同一価値の商品に一時的に生じた価格差のようなものであって、裁定取引と同じくいずれ両者の収益構造は収斂していくのではないか。

僕が喰えたのは、たまたま時代と運に助けられてきたにすぎなかったのではないか。どんな職業もその制約から逃れられないのだから(ちなみに大昔は、出版翻訳でも増刷が1、2度あれば家が一軒建つ時代があったと聞いたことがあります)。昨日のセッションを拝見しながら、そんなことを思った。