出会った言葉:
① 人工知能(AI)が普及し、デジタル化が進むにつれ、逆に暗黙知の存在が意識されている。
(野中郁次郎「私の履歴書―研究テーマ 今こそスミスの原点に 共感する他者 知の共創は続く」2019年9月30日付日本経済新聞)
② 私は、大学時代、阿部謹也先生が授業中にこんな苦言を呈したことを思い出しました。「一橋大学の知的レベルが劇的に下がったと感じたのは、生協にコピー機が導入されたときだった。……君たちはノートを写す、ということなど極めて退屈で無意味な作業だと思うのだろう。だが、皮肉なことに、君たちが侮る作業を機械に頼ることによって、実は君たち自身の質を低下させることに気づいていない」
(『AIに負けない子どもに育てる』pp184-185 新井紀子著、東洋経済新報社)
本日の朝刊を開いて①は漠然と分かった気がしたが、偶然②を読んでその意味が明確になったような気がしました。「自分の手で書くこと」の重要さをおっしゃっていたのですね。
阿部謹也先生の授業は、教養部にいた2年間採ったがほとんど出席しなかった。朝早かったこともあるんだが、阿部先生、確か最初の授業でこうおっしゃったのだ。
「諸君、君たちには恐らく今、一番の自由な時間がある。大学に来て、そこに座って、私の下らない話なんか聞いている暇があったら、もっともっとやること、考えることがあるはずだ。それを探せ!」でも今は阿部さんの授業に出なかったことを心から悔いている(なお、成績は持ち込み可の試験またはレポートだったと思います。出せばAだった)。
もう一つ。大学2年の夏休み、当時僕が入っていた政治思想史のゼミ(当時は教養課程でも「前期ゼミ」を選択できた)と阿部ゼミの合同合宿で飲みながら伺った話も忘れられない。「これから君たちが人を好きになった時のために必勝のアドバイスを教えよう。いいか、誰かを本当に好きになったら、一心不乱にその人を見つめ続けろ。片時も目を離すな。そうしたら相手はどこかで君たちと目を合わせる時がくるだろう。その瞬間にその人は君に恋をする。これは真理だ」。
余談ですが、野中郁次郎先生は、阿部学長のアドバイスを受けた話を今月の「私の履歴書」にお書きになっています。
(以下引用)旧知の間柄だった一橋大学学長の阿部謹也先生に、教員の候補はいないかと相談した。阿部先生は、1986年の学長選後、学生たちを批判するビラを配って学内で浮き上がってしまった私たちに「尊敬に値する」と声をかけてくれた唯一の人であり、恩義を感じていた。(野中郁次郎「私の履歴書 ―北陸先端大へ 「場」で生まれる知を提唱 一橋大を退職、知識科学研究科長に」9月24日付日本経済新聞 )