金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」:9月23日に出会った言葉

(1)2020年9月23日 
知識は世界をある程度予測可能な物にすることで人々の不安を振り払ってくれる。……知恵とは……世界に飛び込み、それと語らう中で「道」を探すこと。
鷲田清一「折々のことば」2020年9月22日付朝日新聞
*読書や学びの場で身につけたこと(知識)を実践に適用しながらそれを生かす道(知恵)を探れと言っている。当たり前だが大事なこと。

www.asahi.com

(2)2020年9月23日 
「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」ということが武道のめざすところです。
……
流れに任せて、ご縁をたどって生きていたら、気がついたら「いるべきところ」にいて、適切な機会に過たず「なすべきこと」を果たしている。
そのことに事後的に気がつく。
武道をしっかり修行していると、そのような順逆の転倒が起きる。
必要なものは、探さなくても目の前にある。
……
そういうことが人生の節目節目で起こる。それが「武運」というものであって、それに恵まれるようになるために武道の修行をするのだ、と多田(宏)先生に教わりました。
内田樹著『そのうちなんとかなるだろう』Kindle No.923 -950、マガジンハウス、2019年)*今月(2019年9月)の日本経済新聞私の履歴書」の著者野中郁次郎先生は、ビジネス界では知る人のいないほどの業績を残された大変な学者だが、その連載の第1回で、自分はもともとシャイな性格で、人前で話すのが苦手。ただ少数ながらじっくり話すことが好きだ、と述べた上で、次のように語っている。

「そんな相手とどうやって出会ったのか、と問われると自分にもよく分からない。自然体で過ごしていると、私に気を留め、世話を焼く人がどこからともなく現れ、ときに表舞台に引っ張り出す。学生の頃、社会人になったとき、さらには学者としての道を歩み始めたとき、節目節目で思わぬ人から声をかけられ、よい方向に導かれた」。

今日の内田さんの一節を読んで、ああ野中先生には「武運」を呼び寄せる生活態度があったのだろうと感じた。僕は武道のことはよくわからないし、凡人が変に期待するのもどうかと思うけれども、人間、誠実に自分が正しいと思う生活を送っていれば、武運が訪れることもあるのではないか。お二人の文章を読みながらそう思いました。

(3)2018年9月23日 
無言の風景との対話の中に、静かに自己の存在をたしかめながら、こつこつと歩いてゆく。東山魁夷
(2018年9月23日付日本経済新聞「春秋」より)

www.nikkei.com

(4)2017年9月23日 
「月々の雑誌など読まないで、古今東西の名篇大作に親しみ、そこの生活とあなた自身から真実を見る一方になさい。・・・先ずドストエフスキイトルストイ、ゲエテなど読み、文壇小説は読まぬこと」。
(1935年、当時35歳の川端康成が21歳の北条民雄に送った書簡。2017年9月23日付日経新聞「傍らにいた人」堀江敏幸より