「書籍の翻訳って5万ワードから10万ワード(ちなみに『ティール組織』は約14万ワード)をお一人に任せるので、どうしても経験者を優先せざるを得ないんです」と先日飲んだOさんは仰っていた。
だから現実問題として、出版翻訳経験ゼロの人がいきなり1冊をまかせられることはなく、最初は、(僕がそうだったように)「翻訳協力」(自分の担当部分を訳して他の人の部分も修正して1冊の本に仕上げる)だったり、「共訳」になったり「下訳」から入っていく形にならざるを得ないのだろう。
あるいは翻訳コンテストをやって優勝者に1冊訳させる某社の様に(これはその出版社の方から聞いた話ですが)、編集者が家庭教師のようにぴたっと寄り添って1週間~2週間のペースで原稿提出を義務づけられ、添削されながら進んでいく方法しかないのかもしれない。ちなみにこの会社は印税方式ではなく、買取方式。「(印税方式は)コスト的に難しいです」と仰っていた。
そこでちょっと気になるのは「下訳」の報酬ってどうか?ということ。
特に、下訳者が参加していた本が重版になったとき、もっと言えばベストセラーになったときって、下訳者も恩恵をフェアーに得られるのだろうか?ということだ。
僕はやったことがないのでわからない。ただ東江一紀さんのエッセイに、昔師匠の下訳をやってほとんど金をもらえなかったような話があったので、「修行という名のタダ働き」はかつてはあったのかもしれない。
それで思い出すのは某誌の編集長さんからうかがった、亡くなった山岡洋一さんについての思い出話だ。山岡さんは下訳であろうが、共訳であろうが、印税はきっちりページ数比例にされていたとのこと。「本当にフェアーな方でした」と。
実務翻訳者である僕からすれば、それは極めて当たり前のことだ(もちろん、印税率に差はあったかもしれないし、全体をまとめるための印税率の取り決めはあったっておかしくない)。
もっとも出版の方が山岡さんはフェアーだったと感動された、ということはつまり出版の世界には「フェアーではない世界」がまかり通っていた時代があったということなのだろう。
今は知らない。