金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「大学に入って気がついたこと」(スポーツ強豪校に子どもが入るということ⑨)(2016年6月)

昨日、息子(大学1年)は母校のインターハイ予選(団体戦)決勝の応援に行っていた。金曜日にベスト4に残っていた段階で、「明日は一人でも応援に行く」と言っていた。私が帰宅してもう寝ようかなと思った頃に帰宅。
「T高校、12年ぶりにインターハイ出場決定!」
と叫び、僕たちに優勝決定の瞬間の動画を見せてくれた。鬼のH監督がガッツボーズ、ベンチの学生たちと握手をしている30秒ぐらいの動画。

実は一昨日は関東学生リーグの入れ替え戦(1部~5部の各部の最下位とその下の部の首位が試合をする)もあったので、そちらに行かなければならない学生が多かった。ただし1部リーグの上位校の卓球部に所属している高校時代同期のキャプテンA君(H大)、1学年下のB、C君(M大)、D君(H大)は母校の応援に来ていた。準決勝からの全試合、応援しながらセットごとの結果を代わりばんこにLineで流し、最後は優勝決定の瞬間を添付していたとのこと。それを見たK君(N大、1部)から涙の電話があったらしい。

ちなみにA,B,C君は高校時代レギュラー。B,C君はダブルスで関東大会優勝。D君は個人でインターハイ出場。K君はレギュラーではなかったがダブルスで県大会2連覇している。我が息子はかろうじてベンチ。高3の春に出場した全国選抜大会で、義理で1試合出させてもらったのが団体戦出場の唯一の公式記録。個人戦の最高位はシングルス、ダブルスともに県ベスト8。普通の高校ならいざしらず、卓球名門校のT高では誰にも覚えられない平々凡々な記録である。今在籍する大学は4部だ。

さらに言っちゃえば、高校時代の部活動が本当につらかったらしい。部活動で頑張った連中のことを認めつつ「もう二度と母校卓球部には戻りたくない。応援も行かない。練習にも当然行かない」と言っていたのだ。

ところが1年浪人をして、C大学卓球部に入って3カ月、何が変わったのだろう?

「やっぱりああいう練習を強制され、それを自分で消化できなきゃ強くなれない」。一昨日の晩、僕が寝た後で妻に言っていたらしい。「あの練習が僕に合わなかったのではない。あの練習に合わせられなかった僕が悪い」と。卓球部から離れて1年以上たって「やっと気がついた」。事の是非はともかく、そういう心境らしい。

客観的に言えば、こういう土壌が部活動から体罰をなくさないのだろう。そんなことを思う。

「ちっくしょー、国体予選にエントリーしていなかった・・・」
どうせ1回戦か2回戦で負けるのだからエントリーしない、というのが、次男の在籍するC大学(4部)卓球部の常識。

「え、国体予選?H(息子のこと)なんで出ないの?全日本上位クラスと当たれるかもしれないのに、もったいない!」というのがA~D君たちの常識。
「試合のために授業を欠席?あり得ない」がC大学卓球部の常識。
「授業のために試合に出ない?あり得ない」がA~D君たちの卓球部の常識。
「おまえさ、(A~D君たちとは)もう住んでいる世界が違うんだよ」と私は言い、「わかってるよ」と彼は答えたが、どうも次男の卓球魂に(遅ればせながら)再び火がついたことは確からしい。

(後記)ななな、なんと今卓球協会に「国体予選に出たい」と折衝の電話をしとる!
(後記2)責任者に話をつけて、私の仕事場のファックスから申し込みしてしまった。・・・やる気になるとすごい、と我が子ながら感心した。

「次男の引退」(スポーツ強豪校に子どもが入るということ⑦) - 金融翻訳者の日記