金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「『何か違う』という感覚」(2013年11月)

書籍を訳していると「合っているんだけど何か違う」と感じることが(僕の場合は)多い。というか、昨晩夕食後にある章の訳を提出する前に(試訳としては出来上がっているのだが)「念のため」と思って読み上げソフトに読み上げさせて自分も声を出しているときにそれを感じてしまったのでその矯正に2時間もかかった(A4にして2ページ程度の内容)。8割ぐらいは矯正できたと思うのだが、まだちょっと・・・何か残尿感が残ったような気もしないでもない、と思いつつ「試訳なので」と自分に言い訳をして提出した。「何か違う」のを「違わない」ようにする・・・これは実に大変な作業なんです。私には。

こういうことは私のやっている報告色の強い金融レポートの場合はまずない。経済エッセイの場合は時たまあります。

村井章子さんのインタビューに故山岡洋一氏の『ビジョナリーカンパニー』の原文訳文音読の話が載っていた。あれは以前山岡氏が「翻訳学校に行く必要などない。優れた翻訳を使って原文と訳文を比較するのが最高の訓練」と書いていたか仰っていた通りのやり方で私も翻訳ストレッチで取り組んでいる方法だが、結局この努力は

①「何か違う」と感じられる感性を磨き
②そもそも「何か違う」訳文になる頻度を減らし
③読み直している時に「何か違う」を「違わない」ようにするための感覚、というか技量の訓練なのだと思う。

まさに「技術とは感性=技は心」(吉田武さん)なのだと実感します。自らの非力とともに。